オレンジデー





今日は一体何の日だ――。

食卓に並んだ料理を見て、記憶を辿るが一向に思い出せない。
少なくともカレンダーに載るようなイベントの日ではなかったはずだ。
それなら何か、個人的な記念日か――とも考えてみるが、少なくとも自分は誕生日ではないし、おそらくココも今日ではない。

――一体、何なんだ。

あいかわらず連絡もせず突然やってきた俺を、珍しく上機嫌でココが出迎えたのはつい先刻。
珍しいとは思ったが別段悪いことではない。
うっかり尋ねて、そんなことも覚えていないのかと下手に機嫌を損ねるのもまずい――そう考えて、さきの内に原因を聞いておかなかったことが今更ながらに悔やまれる。

俺が来ることは分かっていたようで、食卓にすでにずらりと並べられた料理は美味しそうな匂いをしている。
それ自体はそれでいい。
問題はその全てにオレンジが使用されているということだ。

もちろん七草粥よろしく何かを食べる記念日というのはどこの国にもあるものだろうし、一般的なものであれば自分だってチェックしているはずだ。

――オレンジ。

オレンジを食べるなんて習慣が一体あったかと思いつつ、腕を組み考える。
考えたってしらないものは出てきようもないから無駄だったのだが。

「どうした、トリコ。食べないのか?」

テーブルを見つめたまま立ち尽くす俺の顔を覗き込むようにして見つめるココはやはり上機嫌。
誤魔化すのは得意ではないし、そもそもあまり考え込むのも好きじゃない。
とりあえず言葉に従い、食卓に着くと、あわせるようにしてココも正面に腰掛けた。



食材もさることながら、美食家を営んでいることもあって食材の引き立て方のうまいココの料理は美味い。
違和感は相変わらずだがとにかく料理を口に運んでいると、半分程胃に入った頃だろうか。
自分は何も食べずに、ただ静かにこちらを眺めているココと眼が合った。

諦めて小さく一つ、溜息を吐いて。
食卓に肘をつきさらにその上に頬を乗せ、こちらを見ている此処に向かって口を開く。
ただし、ナイフとフォークは手放さず、フォークに牛肉を刺したままで。

「なあ、ココ」
「うん?」
「今日は、その、一体何の日だ?」

眉尻を下げ、片手を頭に置き、すまないという意思表示をしながら頭を下げる。
怒られるのを覚悟していたのだが返されたのはくすくすという笑い声だった。
驚いて顔を上げてみても、ココの笑みに裏はなさそうだった。

そのまま少し声を出して笑ってから、咳払いを一つして。

「なんだ、トリコ。知らないのか」
「知らねぇ」
「――フフ。今日はね、オレンジデーって言うんだそうだよ」

おれんじでい――、と意味も分からず復唱すると、ココは笑顔のままで頷いた。

「東の方の国で最近定めた記念日らしいんだけど、オレンジか、オレンジ色の何かをプレゼントしてね。バレンタインデーとホワイトデーで通じ合った二人がその気持ちを確かめ合う日――なんだそうだ」
「ほォ」

――そんなものは聞いたことがない。

食物に関する記念日には、もちろん自分も多少は詳しい。
だからといって、そんな小国の小さな風習についてまで、そこまでまめに調べていられるわけではない。
そもそも記念日だの何だのは作ろうと思えばいくらでも作れる。各国で制定され自由に生まれるときているのだから困りものだ。
つまりは、自分の知らない記念日が日々生まれているということになる。そんなもの、逐一調べるわけもなければ当然ながら知るわけがない。

とりあえず覚えておこうと納得し頷いたところで、ココがすっと手を差し出した。
その掌は上を向いている。

「で、お前は何をくれるんだ?」

小首を傾げて、楽しんでいる様子のココはその様子のまま動かない。

少し、考えてから。
相手の意図が分かったので、腕を伸ばしてその頭を食卓越しながら強引に引き寄せればテーブルクロスがずれたのか食器のぶつかり合う高い音がした。

――あとで怒られるかもしれねえな。

もちろんそんなものは気にしていない。
ココは少し非難する眼で見ていたが、すぐに諦めたのか瞳を閉じた。

一度触れるように口をあわせて、ゆるくしか閉じていなかった唇を割り舌を入れる。
歯列をなぞりその上、軟口蓋を往復させればくすぐったいのか僅かに息を吐き、そこから唾液の絡まる水音が漏れる。
そしてふと――何かに気付いたらしく唐突に、ココが俺の肩を押した。
はて何が気に食わなかったものかと思い一応素直に身を引けば、ココが大袈裟にごほごほと咽て、恨みがましい視線を向けてきた。

――御希望には沿ったつもりだったんだが。

「――っか、は!…あの…な、馬鹿か、お前は…!」
「何が不満だってんだよ」
「不満も何も当然だろ!」

そう言って手元にあったコップに手をかけ、流し込むように水を飲み干した。
俯いて、キスのせいか咽ただけか知らないが上がっている息を少し落ち着かせてから、毅然として俺に向き直る。

「なんでこれだけ料理があるのに、肉料理のオレンジソースなんて選ぶんだっ。せめて水飲んでからとか色々あるじゃないか!」
「嫌なら初めから並べなきゃいいだろ」
「うるさい。お前が肉好きなのが悪い」

あーべたべたする気持ちが悪い、と続けて言って、胸の辺りを押さえながら溜息を吐いた。
自分から強請っておいてこれかと半ば呆れ気味にその様子を見遣りながら。

「結局何がしたかったんだよ」

と聞けば。

「うん?ああ、分からないか?」

咳込み過ぎてか僅かに涙の潤んだ目で。

「久々にね、確認ってやつがしてみたかったんだよ。愛とかいうものの、さ」

ココはそう言って、困ったように眉根を寄せて笑った。






【了】




09/04/20・up