――所詮遊びなんてものは、日常生活に支障をきたさないよう行うもので。 ――勝ち負けや優劣があり、ルールがある。 ――そして何より、余暇を少しでも無為でなく過ごすためのもので。 ――楽しむ、ためのもの。 ――それが遊びというものです。 ――だから。 ――こんなのは絶対に、遊びなんかじゃない。 遊戯 言いたいことは言い切ったのか、正守はそこで一旦言葉を止めた。 薄く開いたままの唇が、酸素の足りないことを物語っているようで面白い。 少なくともほんの数分前までその口は、うわごとや悲鳴のような声ばかり途切れ途切れにあげていた。 終わってからも暫くは肺に酸素を送り込むことに必死のようだったが、落ち着いてきたのか一際大きく息を吸い――ようやく発した言葉らしい言葉が、抑揚のない単調な先の台詞。 「なんだお前は、色気のない。睦言の一つや二つ言えないのか」 「期待してたんですか」 「俺の裏を掻くならそれ位してこそだろう」 それ位の意外性は用意しておけと非難すれば、遠慮しますという適当な返事と共に恨みがましい視線が返ってきた。 隣で寝転がっている青年は布団一枚しか身に着けていないし、その肌にもまだ情事の痕跡がそのままに残っているという、この状況。 だというのに、色艶といったものとは不可思議なまでに程遠い、この空気。 色気と言うものがまるでない。 これで俺が既に簡単ながら服を着て布団の脇に座っているのではなくて、彼の隣で一緒に寝転がり腕でも貸してやっていればまた違うのだろうか――という考えも頭をよぎったが、それもまぁお互いに気持ちが悪いだけだろうなと結論付けて机に肘を付いた。 僅かな月明かりの中でも夜目が利くのは職業上のこと。 それはお互いそうだろうから、明かりは付けない。 面倒だからというのもあるし、俺にもあちらにも、おそらくそんな趣味はない。 正守は瞳だけ動かし眼を逸らして、わざとらしく溜息を吐いた。 「何が悲しくて俺が無道さんを喜ばせなきゃいけないんですか」 「相手が喜ぶと分かっていて行動しないのは良くないぞぼうや。サービス精神が足りない」 「そういうのは意図的に俺を喜ばせてみてから言って下さい」 「なんだ。まさかお前、俺に愛してるだの何だのと囁いてほしかったのか」 笑って問えば、無言のままきつく睨み上げられた。 ならば可愛いだの何だのといって褒めてやればいいのかと尋ねてみたが、正守も今度は最早呆れたようで、ゆっくりと溜息を吐いただけだった。 意図的にでなければお前が喜ぶようなことを俺はしているのか――とは、浮かんだものの言わなかった。 そういうことを言い出すと、また面倒なことになる。 俺だって疲れているのだ。 こいつは面倒くさい。 「そんな気味の悪いことしないで下さい。大体無道さんだって楽しむとしたら、睦言の内容でなくて俺が睦言を言ったって事実しか見ないくせに」 「分かってるじゃないか」 「分かりますよ」 ふぅんと軽く相鎚を打ち、気だるかったので、少し移動して布団の上に寝転がる。 もうまるで暖かさなど感じないが、そこは先程まで自分がいた位置。 左を見れば、すぐ隣に正守がいる。 間近に見えた相手のしかめ面が楽しくて眉間の皺に口を寄せれば、案の定、皺はより深くなった。 避けなかったのも押し返さなかったのも、単に面倒だとかそんな体力は残ってないとかいう理由だけだろう。 全く色気も何もあったものじゃない。 「お前は何が不満だ。こんなにこの俺が構ってやってるのに」 「今この状況に不満がない訳ないでしょう」 「何が?」 からかうように、笑って子供のように小首を傾げれば、癇に触ったかまた睨まれた。 そのまま意地悪く笑って眺めていると、視線を斜め下に向け、呟くように口を開く。 「――何でこんなことするんですか」 「お、被害者面か」 「そんな意味じゃない――」 じゃあどんな意味かと尋ねながら、今度は俯く瞼に口を寄せる。 と、されるがままだった先程とは打って変わり、しっかりと意思を持って押し返された。 ――全く可愛くない。 そう思いながら自分の顔に笑顔しか浮かばない理由については、単にこの男が面白いからだ。 とはいえ何が面白いのかと問われれば、そういえばさして面白くもないかという気もする。確かにするのだが、少なくとも今目前にいるこの青年と居ると退屈はしない。 他の青年と違うところと言ったら、裏会では別段珍しくない多少残念な家庭状況だとか、身の丈に合わない野心、根底は屈折し切れないくせに妙に屈折し切った性質に、その歳にしては凄いかもしれないといった程度の実力だとか、そのくせ、この俺に対して全く物怖じしない態度――。 そのどれを取ってみても、ひどく興味を惹かれるだとか、見たことのない驚くべき特性だとかいう訳ではない。 勿論。 その全てを兼ね備えているのはおそらく、目の前に居る彼しかいないのだろうが。 「やれやれ、言いたくないことは言わない積もりか。質問が分からないのだから答えようがないぞ」 「質問はしましたよ。無道さんが答えていないだけです」 「俺は意味を取り違えているんだろう。そのままの回答でいいのか」 「もし無道さんが本気で俺の意図が分からないのであれば、どうぞ御自由に」 「お前も上を目指すなら安い挑発は止めた方がいいぞ、己の価値を下げる上に無駄だ」 「別に今何を言おうと無道さんの評価にしか――というより無道さんの評価にすら響かないでしょう」 「それもそうか。――まあ、一応ヒントをやるとだ。もし俺がぼうやだったら、どういう理由があればこんなことをするか考えてみれば良い」 ――少し興が乗った。 普段であれば聞き流す所を、わざと相手が嫌がるような表現で返す。 案の定、切れ長の眼が僅かに細められた。 「一緒にしないで下さい。俺は別に――」 「気持ち良かったくせに」 「――ふざけるな」 本気で殺気を飛ばしかける相手に、ふざけてなんていないと軽口を叩きながら腕を伸ばす。 布に隠れて見えないが、おそらく腰であろう辺りに手をかけ、布団の上から抱きしめて体を寄せた。 抵抗してこないのは俺が茶化していると判断したためだろう。 大人しく腕に収まる姿は平素見かける姿より余程華奢に思える。 というのも布団に隠れて肉付きがあまり見えないからで、実際には、少なくとも人並み以上に良い体付きであることを自分はよく知っている。 傷も多く、それなりに体躯もある。 顔もまあ比較的整ってはいるのだろうが決して女顔と呼べる部類ではないし、頭は丸々剃り上げているため、指を絡める髪もない。 何がどうしてこうなったものかは、まるで覚えていない。 どうなるだろうとか面白そうだとか、そんなくだらない興味から俺が手を伸ばしたのかもしれないし、あちらから伸ばしてきた手を取っただけだったかもしれない。 とかく、そんな忘れてしまうようなことに興味はないし、従って突然そんなことを蒸し返そうとする正守の考えも分からない。興味もない。 多少気になるのは、この青年が一体何を思っているかだ。 男としての矜持があればこんな行為――同性の、しかも体躯では一見劣っているような相手に組み敷かれるなど――屈辱以外の何物でもないような気がする。 だがこちらには力一杯拒まれた覚えもなければ、情念を以って強請られた覚えもない。 拒んでも無駄だと言ってしまえばそれまでだが、少なくとも俺が拒まれている内に興が冷めれば手を引く人種だとは理解している筈だ。 全く、理解し難い。 「ああ、噂に聞いたのだが」 考えているのか諦めたのか。 黙っている青年に向かって、俺は悪戯を思いついたような、目一杯の笑顔で。 「何でもしっかりと教え込めば体の方が後ろを弄らないといけない様になるらしいな」 「貴方もう十回位死んできた方が良いんじゃないですか」 青年は完全に呆れ顔で、疎ましそうに俺を一瞥して。 もう寝てくださいと言葉だけは慇懃に、いい加減に掛けられた布団を、俺に向かって投げかけた。 【了】 |
08/10/05・up |