「やあ!」

響いた声に驚いて、僅かに肩が上がった。
気配はしていなかったというのに、声は異様な程近く、僅か後方からしたようだった。


住まわせて貰っている裏会の施設。
その日は、勿論探したのだが手頃な仕事がなく一日すっかり空いてしまい、久々に部屋で座って朝食を取った。
朝の内は掃除だの何だので皆が敷地中にうろうろしているので修行するのも落ち着かない。
仕方なしに、落葉多いその敷地を、管理人からの言いつけ通り掃除することにした。
掃除と言っても単なる掃き掃除なので普段は式神を使っているが、その日は天気が良かったからか、ふと自分でやりたくなった。
特に意味はない。
それだけだった。


声のした方を振り返れば、数メートル先で木の枝に足からぶら下がった、妙な男と眼が合った。

「突然だが、スカウトしに来てやったぞ」



――誰もそんなことは頼んでない。





侵食





思わず出そうになった不満を飲み込んで、なるべく慇懃に、けれど警戒は伝わるように言葉を選ぶ。

「どちら様ですか、突然」
「ふふふ、ぼうやは意地が悪いな。俺のことなど知っているくせに」
「誰がぼうやですか」
「大人ぶってはいるが、確かまだ15やそこらなのだろう。ぼうやじゃないか」

しつこく人を『ぼうや』呼ばわりする相手に、不満を隠さず顔に出した。
それでも相手は楽し気に笑っている。
頭に血が上って落ちればいいのにと思ったが、この男はそんな愛嬌のある失敗はしないだろう。

相手の言葉通り、確かに自分はこの男を知っている。
黒い帽子に黒い服、惚けた目つきに僅かに生やした口髭に、季節感のない奇抜な色合いをした長いマフラー。
それを囲むようにふわふわと浮いている赤黒い球体。

――『不死身の無道』。

幹部である十二人会に、その一人として内定している男。
比較的内部には詳しい自分でなくても、裏会に於いてその名はかなり有名だろう。
幹部でもないのに次々と若い者を集め、名のある実行部隊を作り上げていることも、彼の実績と実力故に許されているであり、また可能なことなのだろう。

異能者たちが裏会の名簿に登録されているという事は知っているから、自分の情報を知っていることに関して疑問はない。
裏会に入って日は浅くとも、同年代の誰よりも仕事はこなしてきたつもりだ。
だから、スカウトを受けることに対して疑問もない。
俺が無道の立場だったとしても確かに、若者の中で抜きん出た者があるとすれば、自分の組織に欲しいと思うだろう。
疑問は、ない。
だが、誰かの下につこうなどという気は毛頭ない。

「無道さんの組織に、今更俺なんて必要ありませんよ」

無表情に、それだけ言って背を向ける。
ほうら、知っていたじゃないかと得意気に言って、無道は続けた。

「既存の組織に要も不要もあるものか。ただお前がいた方がいいと思うから誘っているだけだ」
「必要じゃないなら、俺は居なくてもいいんじゃないですか」
「いた方が良いと言っているだろう。考えが硬いな」

若くない、と言って、木々の揺れる音がした。
おそらく木から降りたのだろう。
あの周辺は一度掃いた後なのに、また掃き直しかと思いつつ、とにかく目の前の葉を箒で集める。

「そうですよ。俺は若くないですから、放っておいて下さい」
「まあそう言うな。ぼうや位の奴も多いから楽しいぞ」
「つるむのは嫌いなんですよ」
「知っている」

にこにこと。
いつの間に寄ってきたのか、突然笑いながら、至近距離に男の顔が入ってきて思わず退く。
足音はしなかった。
気配もしなかった。
それでも、知らぬ間に俺は後を取られ、回り込まれていた。

無道という男の実力に恐れを抱く反面、自分相手にそんな悪戯のようなことをしてくるとは――否、そもそも自分のような若造のためにこんな時間を割くとは、酔狂にも程がある。
要するに、変人なのだろう。
とはいえ裏会など、特に幹部など化物の集まりでしかないのだから、それでも人の範疇である分まだマシなのかもしれないが。

「知っているのなら――」
「だから、誘っている」
「――大した自信ですね。あの不死身の無道さんからの誘いなら、俺が承諾するとでも?」
「色々な派閥から声をかけられているそうじゃないか。中には面倒なものも多いとか」

――俺の名を使えば楽だろう。
そう言って後ろへ二、三歩離れてから、両手を開きこちらへ振り返った。

「俺で手を打っておけば良いじゃないか。俺は優しいぞ」
「そういうことを自分で言うと信用失くしますよ」
「本当のことを言って何が悪い」
「畳み掛けますね」
「お前も頑なだな」

首を振ってやれやれと溜息を吐かれるのは、聞き分けのない子供に対するそれのようで気分が悪い。
俺の機嫌を敏感に察したようで、無道は再び笑いながら帽子のつばを持ち上げ、離れる前の位置までゆっくりと戻ってきた。
思わず後ずさりそうになった足を、踵に力を込め必死で踏ん張り、目の前の男と視線を戦わせる。
勿論、戦いと思っているのはこちらだけで、無道の方はといえばただ楽しんでいるだけなのだろう。
それが余計に腹立たしい。

「なあ、ぼうや。悪い話じゃないだろう」
「格別に良い話というのでもないでしょう」
「――手に入らないのなら、殺すと言ったらどうする?」

途端、走る殺気に息が詰まった。

――一瞬にして、男の表情が変わった。

へらへらと緩んでいた口元が閉まり、きょろきょろと動いていた眼は見開かれ、俺を見据えたままちろりとも動かない。
寒気がする。
まだ秋にも差し掛かったばかり、肌寒くもない、むしろ蒸すような気候の中で、首筋に暑さのせいではなく冷たいものが伝う。
崩れ落ちそうになる体を必死で支えながら、残った気力で精一杯、己の口元を歪めた。

「無道さんは、そんなことしませんよ」
「ほう。それはどうして?」
「無道さんにとって俺は殺す価値もないからです」

当たりでしょう、と問えば、殺気を解いて無道は再び顔に笑みを浮かべた。
妙な規律には徹底した所のある裏会のこと。
どう隠そうとしたところで、こんな白昼堂々、しかも施設内で殺しなど行えば下手人はあっさり割れる。
裏会の若者を殺したとなれば、無道自身の地位は変わらないかもしれないが、スカウト済みの若者からの信頼とこれからのスカウトに差支えが出るだろう。
少なくとも自分の見る限り、無道にとって若者からの信頼はまだ失っていいものではない。
無道の目的が何かは知らないが――一種それ自体が目的とも取れる、暇潰しのような印象を受けるのだが――、一度作ったものをこんな下らない理由で揺るがせたくはないだろうし、また毒にも薬にもならないような俺を、リスクを背負ってまで排する必要など有りはしない。
そもそも、おそらく俺の情報は伝わっているだろうから、俺に脅迫拷問の類は効果がないことは承知の上だろう。
つまり、この脅しは脅迫の類ではなく、どちらかといえばただの脅し。
試しているのか暇潰しか、そのどちらかでしかない。

「ぼうやはつくづく面白いな。どうだ、幹部でいいから入らないか?」
「お断りしますと何回言えばいいんですか」
「何ならお前を中心に部隊を作ってやろう。ぼうやの欲しいものが手っ取り早く手に入るぞ」
「――少なくとも、人から与えられたもので満足するようには出来てませんから結構です」

受け答えを一つするごとに、男の笑みが深くなる。

遊ばれているという感覚。
絶対的弱者であるということ。
苛々する。居心地が悪い。

――相手の思う壺なので、態度には出さないけれど。

一度目を閉じて、軽く溜息を吐き。
再び無道と眼を合わせて口を開く。

「無道さん」
「なんだ」
「俺は貴方の様にはなりたくても、貴方の下に付きたくはないんですよ」

――知っているくせに。

そう結んで皮肉に笑めば、無道は一瞬驚いたような顔をして、次の瞬間には腹を抱えて笑い出した。

「ははは!随分と強気なぼうやだな。うん、気に入った」
「ですから――」
「そうだな」

いい加減にしろと続けようとして静止され、渋々相手の出方を待つ。
無道は少し考えるような素振りをして、思いついたとでも言うようにぽんと手を打った。

「何かと面倒だろうから、俺の名前を使うと良い」
「え」
「気に入った、と言っただろう?」

意図が分からず困惑している俺を愉し気に見やって、無道は続ける。

「お前の利用したいように俺を利用していいと言っている」
「でも、俺は」
「俺は好きなんだよ、ぼうやみたいなのとつるむのが。ぼうやは俺から聞きたいことを聞き盗みたいものを盗むといい。その代わり、俺は俺のやりたい様にお前に関与するからな」
「どういう意味です」
「別に。見せたいものを見せ教えたいものを教え与えたいものを与え奪いたいものを奪うということだ」
「それはつまり」
「俺はお前が俺を楽しませてくれればそれでいいんだよ」

意地の悪い、といったレベルではない。
腹が黒いというよりも腹の底が見えないような、笑みと言うよりは眼を細めて口元を歪めただけといったような、そんな表情。

元々、幹部の内一人位にはこちらから接触する予定だった。
そもそも無道からの関与について自分はどうこう言える立場ではないのだから、中々の好条件。

「どうせ承諾しようとしまいと、勝手にするんでしょう」
「分かっているじゃないか」
「なら、承諾するしかないじゃないですか」

全く以って不本意だとばかりに、視線を逸らし盛大に溜息を吐いた。
しかし相手は俺の露骨な態度を気にも留めず、寧ろ喜んでいるかのように見えた。

「よろしくな、ぼうや」

その言葉には答えずに。
黙って、差し出された右手に己の手を重ねた。
おそらくはこちらの事情など全て分かっていて右手を差し出しているのだろう、そこにもやはり腹が立つ。



「どうした?不満そうだな、ぼうやには願ったり適ったりの展開だろうに」
「今日の仕事俺に回らなくしたのも、どうせあなたなんでしょう」



そう言って俺が睨めば、男は今日一番の、笑顔のようなものを浮かべた。






【了】
08/06/01・up