――今日は、多いな。 呆れるほど暢気に、無感動に言ってのける。 敵の数が多かろうと少なかろうと、おそらくこいつには何の意味もない。 こいつときたらへらへらと笑い、冗談を言ってこちらをからかうかと思えば、利き手は後の妖を狩っていたりする。 歳が離れているから仕方ないのかもしれないが、俺はそのたび劣等感に押し潰されそうになる。 自分の作った結界に端だけ入れて、動きを止めた妖相手に結界を作らせたり。 進行方向を全て結界で塞いだ後で、妖を囲ませたり。 本気で馬鹿にしているのかと思うようなことばかりやらされる。 勿論まだ一人で狩れるかと言えば確かに自信はないが、俺にも面子というものはある。 隣の家の女の子は、もう一人で来ている。 殲滅 「滅!」 発された声と共に、無数に作られた小型の結界が破裂する。 囲まれていた妖が粉々になって降る。 「っと、こんなもんか」 「凄いですね!」 点穴を掲げて片付けるそいつに、眼を輝かせ、白い装束を着た女の子が駆け寄った。 雪村家の一人娘で、時音という。 数日前から、時音は正統継承者なのだからと言って雪村のババアが来なくなった。 だから時音は妖犬の白尾を連れて一人で来ている。 ジジイもそれに対抗したのかついて来なくなった。 とはいってもまだ俺だけでは心許ないようで、俺には妖犬に加え兄貴がついて来ている。 「いや、俺なんてまだまだだよ」 「そんなことないです。私にはあんな沢山の結界作れないし、一人じゃまだ心細いし」 「時音ちゃんはすごいよ。俺だってまだ時音ちゃん位のときはお爺さんと一緒だったし。でも時音ちゃん、もう一人で狩れてるじゃない」 これは凄いことだよ、と。 兄貴はそう言って、時音の頭を撫でた。 俺と兄貴は7つ歳が離れている。 時音は俺より2つ上だから、兄貴とは5つ違いになる。 男女がどうとか才能がどうとか言う前に土台歳が違いすぎるから、俺よりも時音よりも、兄貴は――認めたくはないけれど仕方ない――段違いに強い。 これが他人なら別にどうということもないが、ジジイや時音にどうしても比較されるから、俺はいつも悔しい思いをしている。 三男にあたる弟は引け目なしに自慢の兄貴だと思っているようで、素直に兄に懐いているのだが、俺はまだそうは思えない。 兄貴はよその人間には優しい。 よその人間というより、俺以外の人間に対してといった方がいいかもしれない。 ジジイに対しては変によそよそしい所もあるけれど、それ以外に対しては、猫を被ったように温和で明るい。 特に年下に対しては自分だってまだ中学生の筈なのに、そこらの大人よりもよっぽど大人らしい、それでいて実に親身な対応をする。 面の皮が厚いとか要領がいいとか、そんな言葉とはまたどこか違っていて、どう言ったらいいのか分からないが俺はとにかく腹が立つ。 ――俺のことは、笑顔で突き放すくせに。 実に、愉快気に。 俺の一喜一憂一挙一動を、ただ見世物のように楽しんでいるだけなのに。 大体俺の方が、時音とは歳も近い。 学校やら何やらで兄貴は居ないことが多いから、一緒に過ごした時間も長い。 それなのに、兄貴といる時音は自分と一緒にいる時よりも幸せそうに見える。 それも矢張り、気に食わない。 兄貴の手はもう離れているのに、時音はまだ恥ずかし気に俯いている。 「え、いえ、あの、あ、ありがとうございます」 「あはは。――良守」 「な、なんだよ!」 急に話を振られ、驚いて返せば、意地の悪い笑みを浮かべた兄貴と眼が合った。 腰に手を当てて、仕方ない奴だな、とでも言わんばかりに。 「お前も時音ちゃんを見習って頑張れよ」 「っ、五月蠅え!」 居たたまれなくなって、俺は背を向け走り出す。 背後から時音が俺を呼ぶ声がする。 余計に居たたまれない。 兄貴は凄い。 年齢が離れているから、というだけではない。 俺くらいの時にはもう一人で妖退治ができたとか、一通りの指南書は読んでいたとか、ジジイに聞いただけでも俺とは比べ物にならないほど有能だったらしい。 勤勉で才能もあるなんて、俺なんかが何をどうしたところで太刀打ちできるものじゃない。 兄貴を見習えと、ジジイは言う。 もっと落ち着いて真面目にやれと、兄貴は言う。 正統継承者の自覚を持てと、二人が言う。 生まれた時から背負わされていた勝手な称号。 好きで抱えてきた訳でもないのに、自覚を持てだのしっかりしろだのと言われても、まるで実感が湧かない。 術や才能、勤勉さで言えば兄貴の方が余程恵まれている。 それでも、兄貴の手に方印はない。 ――俺には、方印しかない。 二人から、大分離れただろうか。 校舎の裏、敷地の隅で、俺は腰を下ろした。 息が切れている。 こんな短距離しか走れない自分にも泣きたくなる。 がさり――、と。 背中の方から、突然木の揺れる音がした。 「だ、誰だ!」 慌てて翻し、構える。 「あ、貴方――誰?」 「え」 出てきたのは、一人の女だった。 薄着で、派手な化粧をした、髪の長い、女の人。 心底不思議そうにこちらを見ている。 「お、お前こそ誰だ!こんなところで一体何を――」 「私?私、ついさっきベランダから落ちて、気付いたら引き寄せられるようにここへ――落ちた?」 「おい?」 女は眼を見開き、頭を抱えてぶつぶつと呟き始めた。 良く見れば、地に足がついていない――いや、そもそも足がない。 霊だと気付いて、慌てて声を掛けるが聞こえていないようで、とにかくこっちを向いてもらおうと手を伸ばす。 「なんで、私――ああそう、そうよ、あの男のせいなのよ。男なんていつもそうなんだから。だから私、終わらせようとして、ううん、でも――」 「え、あ」 早口にまくし立てる女の額から、角のような、なにか不気味なものが生えた。 俺は伸ばしかけた手を触れる寸前で引っ込めると、思わず2、3歩後ずさり、尻餅をついてしまった。 ――よく分からないけれど、これは、止めなければ。 そうは思うのだが、どうやってとめればいいのか分からない。 「そうよ。終わらせるの。ふふふ、私、できるわ。今ならできる、そんな気がする。もう、私だけ苦しまなくていいのね」 「お、おい!」 ぐるりと。 女の顔が、首が、180度回って俺を見た。 「なに?あなた――」 「お前、一体なんなんだよ。妖、なのか?」 「『あやかし』?」 「あ、妖だったら、俺が、た――退治、して」 「あら。あらあらあらあらあら!!」 女は馬鹿にするように、大きな声でけたたましく笑って。 ひとしきり笑った後、ぴたりと止まり、細めた眼をゆるりとこちらに向けて。 「あなた私の邪魔をするのね」 「え」 人間とは思えないほどに伸びた腕が、俺の頭上に――。 「結!」 ――兄貴の、声。 頭上の手が、腕が。 その先にいる女――もう殆ど原形をとどめてはいないけれど――が。 四角い結界に囲まれ、そのままの形で静止している。 「何よ、これ!貴方も私の邪魔をするの!?この餓鬼――」 「滅!」 「きぃやぁああああああ!!!!」 響く掛け声。 断末魔の叫び声と共に、四角く囲まれた女が、その結界ごと破裂した。 爆発の煙の中から、見慣れた足、顔、腕が歩み寄ってくる。 「大丈夫か、良守」 兄貴は笑っている。 その大分後ろから、時音達が追いかけてくるのが見える。 すぐ傍まで来ると、兄貴は少しかがんで、手を差し伸べた。 「立てるか?」 「き、決まってんだろ!」 「そうか」 確認だけすると、兄貴はそれ以上何も言わず、さっさと俺に背を向けて歩き出した。 俺は慌てて腰を上げ、あちこちについた土を払うと、その背中を追いかける。 「兄貴」 「うん、何?」 小走りで追いかけながら呼べば、こちらを振り向きもせず兄貴は答えた。 「今の、ひと」 「なんだ知り合い?」 「いや、そうじゃ、ねぇけど」 「じゃあいいじゃないか。お前甘いぞ、あのまま放っといたら厄介なことになるの分かってるだろ。お前は結界師なんだから、妖は全部滅さないと――」 「でも、霊――人だったから」 ――どうにかして、救えないかとか。 考えていたら、何も出来なかったのだけど。 それでも何か、救う方法はあった気がする――。 そんなことを考えながら、漸く追いついた兄貴の方を見れば。 「お前は優しいね」 そう言った兄の顔は、怒るでも笑うでもなく。 何故かどこか、遠いものを見るようだった。 【了】 |
08/06/29・up |