「お前は格好良いなあ」 虚偽 笑って、茶化す様に。 頭を撫でてくるのは、決して先程の『格好良い』が誉め言葉ではない証拠。 適当に笑いながら適当なことを口に乗せる。 この男ときたら、適当にやり過ごそうという目論みを隠そうともしないから性質が悪い。 大体が、夜に備えて昼寝としゃれ込んでいる人の部屋に勝手に入ってきて枕元に勝手に座り込んできたこと自体非常識なのだ。 無視して寝続けようかとも思ったがあまりに居心地が悪く、何の用だと起き上がって振り返ればしげしげと、こちらを見つめて先の一言ときた。 しかも、俺の頭に手を載せながら。 ――ふざけんな。 こっちはてめぇの玩具じゃねぇんだと、向き合った状態で正面からしつこく頭を撫でてくる――撫でる、と言うよりかき混ぜているようだったが――その手を振り払って、軽く睨みつける。 「馬鹿にしてんのか」 「馬鹿になんてしてないさ。ただ感心してるだけ」 「嘘吐け」 「信用無いなあ」 あははと笑うその顔は全く悪怯れていない。 こいつの賛辞を賛辞ととれないのも、俺が卑屈なせいだけではないだろう。 「いやほんと、俺が女だったら放っとかないって」 「げ。何言ってんだ気持ち悪ぃ!」 「ひどいな、誉めてるのに」 人の気も知らず――いや、知っていておちょくってやがる確実に。 その証拠に段々不機嫌になる俺を楽し気に眺めている。 そうしてにやにやと笑っていたかと思えば不意に、何かを思いついたように手を打った。 「あ、でも」 「なんだよ」 「もうちょっと見た目に気を使ってほしいかなぁ」 髪ぼさぼさだし、服とかやる気ないにも程があるしと言って笑う。 「う、うるせぇな、俺はこれでいいんだよ!それに」 「うん?」 「お前男だし、別に並んで歩かないんだし」 俺がそう言った途端、兄貴は少し驚いたようで、僅かに背を倒し目を見開いた。 なんだよ、と言外に言いた気な視線を向ければ、軽く手を振って何でもないと返してくる。 そうは言ったくせに俯いたまま含み笑いをしているのでそのまま見ていると、観念したようでまだ若干にやけながらも口を開く。 「いや、ね。それじゃあお前にとって俺達って所謂『恋人同士』な訳だ」 「え、あ――はあ!?いやそれは違――」 「なんだ、違うの」 「遊ぶな!」 「遊びじゃないと付き合ってくれないくせに」 酷いのはどっちだと、勝ち誇った顔で笑う。 どう考えてもお前の方だと思いながら、俺は兄貴の腕を掴んだ。 詐欺師の常套句に「騙される方が悪い」という文句があるらしい。 騙す方も騙す方だが、そもそも騙されるような相手がいるから騙すのだという。 いくら騙そうとしたところで相手が騙されなければ、その本質目的が詐欺だろうと何だろうと、ちょっとした嘘程度で通されてしまうのに。 相手が騙されるから、犯罪になってしまうのだと。 そんな言い分を聞いたことがある。 「どうした、良守」 割と本気で掴んでいるにも拘らず、兄貴の顔は平然としている。 無意識に込める力を増やせば、腕の方からは僅かに手応えがあるのに暢気な声で、痛いんだけどと言われただけだった。 生まれたときからの体格や力の差は少しずつ減ってきているのだろうが、それでも埋まらないものがある。 年齢差とかそういったものではなく、もっと純粋で単純な、それでいて複雑で雁字搦めの。 ――きょうだい。 俺はこの世に生を受けた時からこいつの弟で、こいつは俺が生まれた瞬間から俺の兄であることしか出来なくなったのだ。 「なあ良守。痛いって――」 「おまえが女だったら、俺はこんなに苛つかないで済むんだ」 ぎりりと、噛み締めた歯が嫌な音を立てる。 言うだけ言って眼が合わせられず俯いていると、向かいから掴んでいない方の腕が伸びてきた。 指が視界の端に映った時点で避けようとしたのだが、その気配を感じ取ってか急に腕が早くなり、俺の前髪をかき上げるような形で無理矢理額を後ろへ押し込み顔を上げさせられると、これ以上ないほどの笑顔を浮かべた兄貴と眼が合った。 「あに――」 「良守」 名を呼んだだけで、一呼吸置く。 自分でも気付かなかったのだが俺は思わず手を離していたらしい。 兄貴は自然な、流れるような動作で立ち上がり、もう俺のことなど意識にないように背中を向けて歩き出すとそのまま廊下へと向かう。 部屋の端まで来ると一旦立ち止まり、襖に手をかけ振り返った。 俺は時間が止まったような気がした。 「俺もそうだろ」 そう言った、兄貴の顔は。 俺の知る限り全ての形容詞を使っても表現できないような、複雑で単純な、とても綺麗で醜い、そんな――そんな、笑みだった。 【了】 |
09/04/05・up |
宙に浮いているような感覚、だとか。 暖かいような、甘酸っぱいような――そんな、いつか夢で見たような感覚はない。 夢幻 熱い吐息の漏れる音。 昂揚していく体。それと同時に、昂ぶる精神の隅でどこか安堵する。 「な…なあ」 「は、っ…なに?」 荒れる呼吸。 息遣い。 見惚れるというよりも、強引に視線が捕らえられたように感じる。 そもそもこの男は人の目を引く。 上に立つ人間らしい、人を引き付ける力もある。 勿論、自分が引かれるのはそんなありきたりな理由ではないけれど。 「気持ち、良いの――か?」 一瞬固まって、男はこの場の雰囲気に合わない明るさで笑いだした。 「ふ、はは、は。何だそれ。お前そういう趣味なの?」 親父趣味だなと言って、声を押さえて笑う。 いらついて肩口に歯を立てれば、兄貴の全身がひくりと震えた。 わずかに赤く残る噛み跡を軽く舐めて、俺は顔を上げる。 「違ぇよ。俺はただ、兄貴が、ちゃんと、」 「分かってるって。茶化して悪かった」 そう言って目を閉じ、俺の頭を引き寄せて。 ――ちゃんと、感じてるからさ。 ――お前を。 耳元で、囁くようなその台詞。 こういう奴をたらしと言うのだろう。 絶対そうだ。間違いない。 「本当、だな?」 「勿論」 いかにも余裕綽々といった顔で、大げさに肩を上げてみせる。 人を小馬鹿にしたような、胡散臭い態度。 思わず馬鹿らしくなりため息を吐いた。 「ほんとに、なんでこんなのが良いんだか」 「あ、ひどいなぁ」 独り言のようにぼやいたのだが、聞かれていたようで。 ぐい、と。 両の掌で顔を挟まれ、引き寄せられた。 「この状況で、お前がそれを言うのか?」 得意気なのは、俺が今だけは優位だから。 俺がやめれば、この状況は回避されるから。 「お前が、俺を責めたいからこうなるように仕向けただけだろ」 「御名答」 喉を鳴らして笑う、その態度が気に食わない。 「分かってるなら、なんでやめないかなお前も」 「やめてほしくないんだろ。つべこべ言うなよ」 「ああ、うんそうだな」 口だけで笑って、顔を背けた。 声にはなっていなかったが、何か言いた気に唇が動いた気がした。 おそらく何を言ったかは分かるが、この状況で普通、押し倒されている相手に言う台詞じゃない。 「本当に、なんで、お前なんか」 「思ってもないくせに、そういうこと言うの良くないよ」 「お前のその自信はどこから来るんだよ!」 「ひどいな。もし本当にそう思ってるんだったら、俺傷付いちゃうよ?」 それが何の脅しになるんだ馬鹿――と、言おうとして止めた。 大体が、俺はこいつに適わないように出来ているのだ。 それは前々から――本当に昔から、思い知って生きてきたのだから。 とりあえず一つの、もうお互いに分かりきっている答えのために俺は口を開く。 「お前、俺のこと嫌いだろ」 「お前と同じだよ」 【了】 |
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