――恐ろしい夢を見た。



――俺史上最悪の夢だ。

――なんだ、信じてないのか。

――ああそうか寝惚けているのか。

――違うのか。

――まあ。

――俺を否定するのでなければ別にどうでもいい。



――とにかく。

――とにかくひどい悪夢だった――。






夢厭






布団を剥ぎ両の肩をつかんで半身を立たせ、無理矢理起こした相手に一方的にそれだけ告げると、
俺は両腕を開いて布団に仰向けに――要は後ろへと倒れこんだ。
とはいえ元々しゃがんでいただけだから然したる衝撃もない。
下にはマットなんて洒落たものはなく支給品と思しき敷布団が一枚引かれているのみだが、さほど悪くない布団を宛がわれているのか存外気持ちが良かった。

寝転んだまま足元に目をやれば、未だ眠た気に半開きの瞼を擦っている正守が見える。
元来安眠だの熟睡だのといった言葉とは無縁の男だから、あれも半分嫌味の演技に違いない。
気が緩んでいるからこういうことになるのだと他人事のように思いながら、それきり相手に興味をなくした俺は溜息のような欠伸を吐いた。

「くそ、夢とは実に理不尽なものだな。気分が悪い。俺は全く悪くないというのに」
「うん、ああ、夢――それで眼が覚めたってことですか」

探るように言って、正守は己の坊主頭を手で押さえた。
だんだんと覚醒しながら同時に思考を巡らせているらしい。

「――にしても、無道さんこそ理不尽ですよ。なんだってこんな時間に、俺のところに来るんです」
「いやなに、ふとな。お前みたいな不吉な餓鬼が近くにいるからかもしれないと思ったら、とりあえず嫌がらせがしてやりたくなっただけだ。俺のせいじゃあないぞ」
「完全に八つ当たりじゃないですか」
「そうだとして何か問題あるのか」
「――いえ」

糾弾を諦めたのかそこで黙ると、居住まいを正して座りなおす。

普段着が和服で寝巻が浴衣というのだからまるで新鮮味がない。
寝ていたというのに着崩れすらさして見られない。

――詰まらない。

自室に戻ろうと背を起こすと、相変わらず、とくに感情もこもらない眼でこちらを見る正守と眼が合った。

「どんな夢だったんですか」
「気になるか」
「聞いてほしいから煩くしてるんでしょう。言いたいなら早く言って下さいよ」
「失礼な奴だな。お前が聞きやすい状況を作ってやってるんだ有難く思え」
「無茶苦茶ですね」
「何を言う。こんなに優しい上司を捕まえて」

平然と言ってのければ、はいはい俺は幸せですねとため息交じりに返された。
俺も大概自由にやっているとは思うが、眼前のこいつにしたって、ぎりぎりの線で生かされているような身の上なのだ。
組織という括りや制度に守られている気でいるのか、自分の身は自分で守れるとでも過信しているのか知らないが、この俺を前にして礼を欠くにもほどがある。

普段通り、可愛気のない。

――否。

その存在自体珍しいといえば、勿論その通りなのだが――。

ふと。
気まぐれに、自分の悪夢に対するこの詰まらない青年の反応が見たくなった。

「許すと言われたのだ」

――労るような、憐れむような目を向けて――と。

突然話し出した俺に、正守は半ば諦めていたらしく僅かに眼を見開く。
反射的に何か言おうとして動いた唇が、一度閉じた。
おそらく嫌味でも言おうとしたに違いない。
その結果として俺が黙るのを想定し、口を閉ざしたのだろう。
正当な判断だ。

再度口を開き、こちらの目を見ながら慎重に音を発する。

「誰に」
「白くてよく見えなかったがあれは多分、見知った顔に」
「俺じゃないですよね」
「お前だったらどうでもいいし怖くもない」

お前は時々面白い思い上がりをするな――と続ければ、お互い様ですと間髪いれず声がした。

「身内かなにかですか」
「まあ、身内のようなものだな」
「それの何が恐ろしいんです」
「恐ろしいさ。お前の一番嫌いな奴に言われてみろ――」

括り殺したくもなる――。

感覚で覚えている殺気をあらわに、喉を震わせ音を出す。
殺す、とは、実際――言ったとしても夢の中でなのだから、実際という言葉は正しくないのかもしれない――言っただろうか。
よく覚えていない。
言ったとすれば、おそらく今のような音を出したに違いない。

「――殺したんですか」
「煩かったんだよ」

目が声が動作が温もりが、その全てが煩かった。

「殺した」

瞬間的に正守の片眉がひくりと動いたのを俺は見逃さなかった。

「殺したよ」

再度、囁くように。
繰り返せば、寒気でもしたのか青年の肩が震えた。

「ゆめ、の、なかで」
「夢か現実か分からなかったがな」
「現実でも、ころすんですか」
「なんだ。妖は人一倍殺すくせに人になると臆病になるのかお前は」
「――いえ」

少し考えるように俯いて、小さく首を振り。
顔を上げたかと思えば、実に腹立たしい声で、僅かに首を傾げながら口を開けた。

「それで、俺にどうしてほしいんですか」

こちらが不快感に眉を顰めれば、気を良くしたか口端を上げた。
とりあえず一、二発喰らわせてやろうかと俺は膝を立てて――。

「慰めてほしいんですか」

ぴたりと、音でも鳴ったかと思うほど唐突に露骨に俺の動きが止まる。

青年は笑っている。

俺は口を歪めて、ほう、と空気を鳴らした。

「お前に俺が慰められるのか」
「さあ。やったことが無いものは分かりませんね」
「やりたいのか」
「して欲しいんですか」
「――ああ」

嘘だ。
あいつはそんなことを考えないし俺だってそんな考えを持つ訳がない。
嘘でしかない。
要するに。

――遊んでいるだけだ。
――いい歳をした男二人が、こんな夜中に。

「出来るものならな。慰めて欲しいさ――ぼうや」

お互いに気持などまるで籠らぬ顔でにやりと笑う。



――馬鹿馬鹿しい。



無遠慮に延ばされた腕を引いて青年を押し倒しながら。

今日の夢にこいつが出ようものなら有無を言わさず殺してやろうと考えた。






【了】
09/11/25・up