「桃を頂いたので」 御裾分けですと言って、先日少々世話をした少年が形のいい桃を三つ程置いて行ったので、さてどうしたものかと考える。 三つというのが微妙だ。 皆で分けろとも言い難いし、二つまでなら一人でいけるが三つとなると流石に多い。 置いて行った少年は、もう食べ頃なのだと言っていた。 見れば確かに熟していて、この様子ならば皮も手で剥けるだろう。 ――そうだ、皮がある。 そもそも皮を剥くのが面倒くさい。 じきに考えるのも面倒になったので、次にこの部屋の襖を開いた奴に皮を剥かせる、ということだけ決めて横になった。 「失礼してもよろしいでしょうか」 ――こういう時に限って普段来ない奴が来るものだ。 偶然のめぐり合わせというのも案外面白い。 とりあえず包丁とまな板、皿と塵袋を持ってきたらそこを開けてもいいとこちらが言うと、実に不機嫌そうな声でなんですかそれはと声がした。 勿論俺は面倒なので、何の返事もしなかった。 水蜜 「――と、いうわけだ」 「説明を聞いても全く納得がいかないのでそれは理不尽とかいう類のものですよ」 「なんだ。理解力の足りない頭だな」 「すいませんね。でも無道さんのことを理解できずにいる内は大丈夫だと思っているので全く問題ありません」 「向上心がない」 「向上心ならありますが向上しないことに時間と労力を使いたくないんです」 机を挟んで向かい側。 無駄口をたたきながらも、青年の手は存外器用に桃の皮を剥いでいく。 力の加減が難しいのか、果実を握る手の方に汁が垂れている。 「包丁、なんて要らないじゃないですか。こうなるともう包丁使う方が逆に難しいですよ」 「布巾を持ってこさせた方が良かったかな」 「そうですね。今更ですが」 そう言いながら、青年は懐に眼をやった。 手ぬぐいやハンカチでも持ち歩いているのだろうか。 男にしては珍しい。 「舐めてやろうか」 片手は桃を持ったまま。 懐へと伸ばしかけた利き手を止めて、正守はこちらを見た。 その探るような目つきについ楽しくなってにこりと笑む。 勿論正守は俺が笑むなり、眉間に皺を寄せてしまった。 「結構です」 「そうか。じゃあ」 手袋をはずし、手を伸ばす。 軽く握られていた桃を正守の手から攫い、噛む。 すぐに鼻まで甘いにおいが広がった。 中々上物であったらしい。 旨いには旨いのだが、香りが強すぎてあまり量を食べる気にはならないと思った。 噛んだ部分から零れた汁が指を、手の甲、手首、そして腕を伝う。 普段は手袋をしている分、珍しく素手を汚すと気分が悪い。 机上の皿に桃を置く。 水滴が腕を伝う感触にうんざりしながら、間の抜けた顔でこちらを見る青年に腕を伸ばす。 「舐めろ」 正守は先程より険のある、実に嫌そうな顔をした。 この青年はあまり喜ばせ甲斐はないが、本当に嫌がらせ甲斐だけはある。 ――たのしい。 「嫌です」 「命令だ」 「――それでも、嫌だと言ったら」 「坊やはそんなことは言わないよ」 自然と笑みがこぼれる。 使い古された、仮定なんて単純な強がりを使うのだから全く馬鹿げている。 こちらが見抜くのを分かっていてやっているのだろうか。 だとすれば、まあ――俺を楽しませるという点においては及第点といったところか。 「むしろ言わなくて済むように命令という言葉を使ってやったんだ。感謝しろ」 「自意識過剰ですよ」 「そう思うならお前が俺を甘やかしてるんだろ」 そこで言葉に詰まったようで、溜息を吐いた。 断る理由が見つからなかったらしい。 ゆっくりと、身を乗り出す。 眉根は寄せたまま眼を細く。 そうして、薄い唇から舌が伸びてきた。 どこからどうする気かと見ていると、少し戸惑ってから小指を口に含んだ。 指の腹を、舌がなぞる感覚。 少し肌がざわつく。 ただし外面にはまるで出さずに、あくまで平然と、うすら笑いで青年を眺めた。 ――たのしい。 何より嫌厭といった顔をしながら丹念に、指に舌を這わす青年が楽しくて仕方がない。 薬指、中指、人差し指――。 すべての指を含んだ後、ご丁寧に指の付け根にまで舌を這わせて身を引いた。 腕は、届かないからと諦めたらしい。 面倒だったのかもしれない。 「どうだ」 「甘い、ですね」 「そうだな」 皿に置いた桃を拾いあげて、もう一口。 完全に熟した果実。 きっと数日以内――明日明後日には腐ってしまうだろう。 「甘すぎる」 嚥下してもなお香りの残る口で、そう告げる。 ――こんなもの。 ――こんなもの、自分たちには似合わない。 「甘すぎる」 もう一度、繰り返して。 二口ほどで飽きてしまった食べかけの桃を、正守の方へ放り投げた。 【了】 |
10/09/28・up 甘々です。砂場作れるくらい砂吐きました。 背景用桃画像探したんですが1時間探して無理だったので妥協。 |