うちの家族は歪んでいる。 どこがなのかといえば、これがけっこう簡単で難しい。 たとえばお母さんが家にいないとか、人には言えない不思議な稼業があるとか。 そんなことは多分問題じゃない。 お父さんはいわゆる婿養子というものらしい。 けれどそれも、きっと些細なことだ。 在り方を決めるのはそこにいる人間だから。 同じ状況でも、きっと全然ちがう性格の家族だったらこうはならなかっただろうと思う。 壊れているのでも元々変というのでもない。 ただ――歪んでいる、と。 自分にはそう見える。 中でも長男次男の関係はとりわけ歪だ。 絵空事 木と木の当たる、澄んだ音。 同じものを使って同じようにやってみても、自分には出せないその音に少し憧れる。 「はい。利守の番」 長い指が、五角形の駒から離れていく。 何となく眺めているともう一度、利守と名を呼ばれた。 大丈夫、分かってると言うかわりに笑って応えると、正兄も笑って返してくれた。 正兄は優しい。 できた人だ。 それは昔から今まで変わらない。 父も優しい。 けれど正兄の優しさは父と違って、優しさのなかにどこか必ず厳しさを持っているようだった。 それも――。 ――僕や、良兄や。 ――お爺ちゃんやお父さん、全ての人に対して、いつも。 ――いつも、自分への厳しさを持っているようだった。 向かい合って座る膝と膝。 その間に挟まれた将棋盤の局面は、そろそろ大詰めと言ったところ。 勿論手加減はしてくれたのだろうけれど僅かながら自分が有利な戦況にはある。 一気に詰めるため、僕は飛車と描かれた駒を手にとり、進めた。 こちらの意図を察してか、正兄は小さく「お」と漏らして瞼を上げた。 「それじゃあ――こう、かな」 ――パシ。 切れのいい音が響く。 その手を見ながら、考えておいた次の手を進めるために僕は盤上に手を伸ばす。 昔から優等生だった正兄はお爺ちゃんに――いや、きっと墨村という家に――必要とされていた。 それが必要でなくなったのは、僕が生まれるよりも前の話だ。 ――正兄は僕に同情してるのかもしれない。 少なくとも僕はそう思う。 正兄が正当後継者が生まれたことで不要になったとすれば、そもそも僕なんて生まれた瞬間から要らなかったということになる。 あまりこういうことを言うとお父さんが悲しむから、口に出したことはないけれど。 もちろんそれでも――僕は急に“上”から“下”へと突き落とされたわけではないから、正兄よりも状況はかなりマシなのだろう。 そもそも、僕には正兄や良兄のような才能はないから諦めている。 父さんや家族のため、いざというときに自分の身を守るために結界術の勉強はするけれど。 それはあくまで勉強だ。 勉強でしかない。 それ以上のものを僕は求めないし学べない。 正兄はなまじ才能があるから、良兄に思うところもあるんだろう。 正統継承者なんて肩書きがあるくらいだから、きっと良兄は凄い。 普段ろくに修業もしていないのに御役目を果たせているのだからそうなんだろう。 僕くらい歳の時にはもう仕事をしていたらしいから、やっぱり土台の才能が僕とは全然違うのだ。 良兄も確かに僕よりは遥かに凄いのだけれど。 僕からすれば正兄の方がはるかに凄く見える。 才能があって努力もできて――強く、賢い――。 そんな兄が“正統継承者”なんて理不尽なものに負けてほしくないという、ただそれだけのことかもしれないけれど。 あれこれと考えるにつけて、二人とも大変だなと思う。 正兄が優秀なせいで良兄は自分が好きで背負ったわけじゃない看板に押し潰されそうになるのだし、正兄は自分ができればできるだけ、なぜ自分は選ばれなかったのかと悩むことになる。 選ばれたはずの正兄がその称号を煙たがっているのも不満なはずだ。 (望んでも手に入らないものを持っている人間がそれを疎んじていれば当然だろう) そこへいくと僕なんかはまるで気楽なものだ。 僕には幸い才能というものがない。 継承者でもないので特に期待もないぶん、ただただ気楽なばかりだ。 大体が。 結界術なんて学んだところで、総理大臣になれるわけでもなければ石油王になれるわけでもない。 権力とも財力とも無関係だ。 大リーガーになれるわけでもパイロットになれるわけでも、それこそパティシエになれるわけでもない。 それでも、お爺ちゃんや良兄はこの土地で、それを生業として生きていかなければならない。 ――正兄は。 正兄もまた、なにか違うものにとらわれているようだ。 僕も――才能も方印もなにも持たないけれど――墨村という家の一員だから。 僕もまた、なにかにとらわれて生きるのだろうか。 ――なんて、ばかばかしい――。 「利守」 「――なに?」 「王手」 「え?――あ」 視線を落とし盤面を見れば、自分の王が逃げ場なく追い詰められているのが見えた。 盤面に気を取られすぎて取られた牌の把握が間に合わなかったのだろう。 盤上に増えた駒を見ながら、過信で運んだ局面を反芻し反省する。 「あぁあ、やっぱり。正兄は強いんだね」 「やっぱりって?」 「お爺ちゃんが言ってたから。正兄は将棋強いんだって」 「そうか」 「だから僕練習したんだ」 盤面に手を伸ばし、四方に散った駒をかき集めながら。 当然のことのように言うと、正兄はなぜか驚いたとでも言うように眼を見開いた。 「正兄と一緒にやりたいから。できることが欲しかったから、だから僕、将棋覚えたんだ」 「それは――嬉しいな」 「本当だよ」 「疑ってなんかいないさ」 ありがとう、と。 眼を閉じて、正兄は微笑みながら言う。 以前帰ってきた時よりも、顔に陰がある。 その理由を僕は知らない。 正兄も僕に語ろうとはしないだろう。 ただ僕は、それでも正兄の弟だ。 それだけは消えることがない事実で。 「僕はね」 僕はじっと、手を止めて。 正兄の眼が開くのを待ち、その黒い瞳の中心を見つめながら。 その黒のなかに浮かぶ自分の、その瞳までも全て、覗き込むように。 「いつだって正兄の味方だよ」 そう言って、笑う。 正兄はなぜか困ったように笑って、そうしてまた、ありがとうと言った。 【了】 |
10/10/04・up 10/10/11・re 自分だけ分かってるつもりの弟と、 誤解されてるの承知で放っておく兄。 |