「やあ、清々しい朝だなぼうや!」

にこにこと笑って、立っている男はおよそ爽やかさとはかけ離れた黒帽子に黒外套という不気味具合。
形ばかりといった感じの笑みを浮かべて舞台役者のように天を仰ぎ。
およそその姿に似つかわしくない日光の中で両腕を上げ、呆れるほど自然に他人の庭を歩いている。

「太陽は慈愛を注ぎ木々は風に遊び小鳥が愛の賛歌を歌う――実に良い朝だ。なんと美しい一日!」
「何を無理してるんですか気色の悪い」

声を掛ければ、振り上げていた両手はそのままに首だけで振り返る。
張り付いていた笑みが取れたのが唯一の救いだがそれでもやはり気色が悪いことに変わりはなかったので、俺はもう一度無表情のまま、気色悪いと繰り返した。



四月



「恩師に向かって気色悪いとは何事だ」
「誰が恩師ですか」
「俺だ」

大真面目に、あまりに堂々と言ってのける。
相手にするのも面倒くさくなった俺は止めていた手を動かして、地面を掃くという作業を再開した。

「無道さん、エイプリルフールは普段言わないことを言うための日じゃないですよ」
「似たようなものだろう――」

嘘なんか普段から吐いているのだからつまらん、と正論のように胸を張り宣言されてしまっては、こちらとしてもこれ以上突っ込みようがない。

――朝っぱらから、なんて面倒な。

わざと露骨に溜息を吐いてみる。
もちろんその面倒な男はといえばそんな俺の迷惑など顧みない――というよりも、人が迷惑だと思うこと自体を楽しんでいる――のだから、まるで意味のないことだったのだろうが。

「大体が今日から4月だぞ、し、が、つ。こんな晴れた日に相も変わらず不景気な面で何をやっているんだお前は」
「掃除ですよ」
「見れば分かる。雑用か可哀想に」
「世話になってるんです、当然でしょう。俺今日の当番なんですよね」

興味が無いと言う代わりに返答をせず、暇で手持ち無沙汰だと言わんばかりに辺りを見回している。
自分から聞いておいてこの態度なのだから腹立たしい。
俺の方でも目上の人間と会話をしている筈なのに顔すら向けていないのだから御相子といえばその通りなのだが。

とにかく、極力その存在を気に留めないようにして作業を続けることにする。
辺りの屑が一通り集まった頃、そろそろ箒を片すかと倉庫に向かい歩き出そうとしたところで再び背後から声がした。

「よしサービスだ!」

男は先程立っていた位置のままで腕を組み立っていた。
片方の手を解いて、白い手袋の人差し指が俺を指す。
そして、にやにやという表現がぴたりとくる嫌味な笑顔で。

「優しい俺はお前のためにお前が言ってほしい言葉を言ってやろう」

またどういう趣向でどこに面白さを見出したものか――猫なで声での奇妙な提案に、俺は正直に気持ちが悪いと呟いた。
眉根を寄せて眼を細め嫌悪を前面に推し出したのだが、「そう嬉しそうな顔をするな」と言ってさらりと流された。

「今日というこの良き日に、あまりに可哀想な下っ端構成員のぼうやを労わろうという俺の心遣いだ。有り難く受け取れ」
「要りません」
「そう言うな。何でもいいぞ」

どうしてもと言うのなら土下座だってしてやろうじゃないか――と続けるその余裕が気に食わないのだといつになったら学んでくれるのだろうか。
おそらくは、俺が答えるまで帰らないのだろう。
仕方がないので頭を働かせる。俺が目前の男の、その口から聞きたい言葉など到底思い浮かばない。
聞きたくない言葉なら山のように出てくるが――。

――待て。

ふと頭に浮かんだ今日という日の効用。
それならば、きっと正解は――。

「じゃあ、俺を愛してるって言ってみてください」
「愛してるよぼうや」
「ありがとうございます」
「お前からはないのか」
「ああ、じゃあ俺も愛してますよ」
「安心したか」
「ええ」
「面倒な奴だなお前は」

到底、愛の言葉の押収とは思えないような殺伐とした雰囲気。
言いよどみも表情も、それこそ言葉の抑揚すらなく言ってのけるお互いが非常に面倒臭いということを、おそらくお互いに分かってはいるのだ。

「俺は、俺の口から聞きたい言葉を聞いたんだ。消したい言葉を言えと言った覚えはないぞ」
「いいじゃないですか、別に。今一番無道さんの口から聞きたい言葉、ってことだったら別に間違いじゃないですよ」
「それならお前に言わせてやった俺に感謝するものだろう」
「なら、有難うございます」

ぞんざいに言って、首だけで礼をする。
ああ詰まらない――と、垂れた頭の上から声がした。

「お前のそういう所はもしかしてかわいいとかいう表現に当てはまる分野のものではないかとまるでキチガイのような思考が頭を掠めることも無くはないぞ」
「つまり馬鹿にしてるんですね」
「そう言うな。普段なら応用の効かない奴だだの冗談の一つも覚えろだの正直に襤褸糞言ってやるのをぼかしたのだ有り難く思え」
「無道さん俺に感謝されようとしすぎですよ」
「お前が俺を敬わないのが悪い」

ああ面倒臭い――と、続けて言って。
無道さんはもう一度、俺に向かって愛しているよと呟いた。






【了】
09/04/12・up