「黙祷」 瞳を閉じて、一堂が黙す。 同じ人間に想いを馳せるとて、各々の脳裏に映る姿は同じではないだろう。 翡葉には捻くれたくせに真直ぐで、生意気な餓鬼が映っているのかもしれない。 影宮達には、遠いようで近いようで、決して触れることの出来なかった小さな背中が映っているのかもしれない。 花島には、どこか陰のある内気で不器用な、優しい少年が映っているのかもしれない。 刃鳥は、行正は、巻緒は――細波は。 自分は、と、ふと考えて。 考えるのを止めようと思った。 哀惜 簡易ながら夜行内での葬儀を済ませ、三々五々に各々が部屋を出て行く。 流石に晴々とした表情のものはいないが、皆一様に沈痛な面持ちをしているといったものでもない。 どうしたらいいのか分からない戸惑いのような表情、諦念の籠もった目や、怒り、寂しさ――その表情に見て取れる感情は様々だ。 一口に追悼と言ったところで相手に対する感情は並べて違う。 種類も違えばその大きさも異なるのだし、そもそもが人の死に対する想いとて、まるで違うに違いない。 つい先程まで泣いていた花島も漸く落ちついてきたようで、まだ目鼻は赤いが数人に付き添われ退室していった。 戸口から覗く外はまるで日常そのもので、無論一瞬でとは言わないまでも段々とは、皆この非日常から日常へと戻っていくのだなあとぼんやり考える。 腰辺りの服を引く、小さな力に気付くのが遅れたのはおそらくそのせいだ。 「頭領――」 「うん、なに?」 かけられた声に下を向けば見上げる操と眼が合った。 サイズが少し大きいのか、羽織から僅かにしか出ていない指が己の黒服を握り締めている。 眉根を上げ少し困ったような表情を浮かべて。 けれどその目はこちらへまっすぐと向き、薄い唇が、小さく震えて音を出す。 「志々尾君、安らかだった?」 「――うん。こっちが悔しくなる位」 それだけ言って苦笑しながら操の頭を撫でる。 死んだその瞬間と言わずつい先程、棺に納めるその寸前までにしたところで、まるで見たこともないような安らかな表情だった。 変わらぬその表情で思い返すのは寧ろ、弟から浴びせられた一言と、その表情。 ※※※ 『遅ぇよ』 ――知っている。 ――後手後手に回った。 ――情報が少なすぎた。 ――何より、俺は俺自身をきっと過信して――。 『遅ぇよ…!!』 ――限は。 ――遅いとは、そうだ、意味なんて分かりきっているそうだ遅かった遅いということは間に合わなかったということつまり――。 ――限は。 弟は昔からすぐに泣く。 痛ければ泣く嫌なら泣く悲しければ泣く。 その弟が泣いていた。 台詞と口調は確かに俺を責めているのに、瞳に映る怒りの矛先は、まるで行き先なく彷徨ったまま。 あれはきっと馬鹿だから、自分のせいにしているに違いない。 自分に出来ることと自分のしたいことに線引きが出来ていないのだ。 ――馬鹿だ。 『言いつけ守れなくてすいませんって、言ってました』 蜈蚣に頼み限を乗せて戻る途中、翡葉が言った。 それが最後の言葉かと尋ねれば、いいえと首を振り、少し悩んだ後ではっきりと。 『満足だ――、って』 頭領の弟さんに言っていましたと結んで、加えて一言、すいませんと消え入るような声が聞こえた。 ――顔を見れば分かる。 おそらく良守は俺の予想以上に、俺の望む効果を限にもたらしたのだろう。 そうでなければ。 そうでなければ、限がこんな顔をしている訳がない。 こんな、安らかな――。 褒めると喜ぶくせに、気恥ずかしさからか嫌がった。 照れるとすぐに頬を赤らめて視線を逸らした。 何を言っても嫌だとは言わなかった。 それではと夢や望みを聞いても、ただいつも、何かを堪えて黙っていた。 『――頭領』 何故か少し申し訳なさ気に、呼ぶ。 記憶の中の限は、少なくともそうだった。 ――違う。 結局のところ俺は理解しただけで、分かろうとしてなどいなかった。 向不向、適材適所、優先順位、油断――言い訳と屁理屈に自分自身が馬鹿馬鹿しくなる。 俺のしたことなんて精々ただ時間を止めただけで。 彼に生きることを始めさせたのは俺じゃない。 ――良守。 それはごく僅かな時間だったのだろうけれど。 ――『満足だ』と。 望むことすら望めずに、それでもどこか望んでいた少年がそう言ったのだという。 ――泣いていた。 ――真直ぐな感情、眼、言葉、行動。 俺にはないもの。弟には、備わったもの。 ――馬鹿は俺だ。 ――俺は。 ――利用することでしか居場所を与えられなかったのに。 ※※※ 「頭領?」 考え込んで停止した頭に飛び込んだ音。 どうかしたのと、覗き込む幼い瞳。 気付けばもう部屋には自分と操の二人しかいない。 ふと次に行かねばならない場所を思い出す。 その間留守にする準備もあるのだから、あまりのんびりとはしていられない。 心配そうな操の頭に乗せたままの手をなるべく自然な動きで引き、俺は笑顔を作った。 「どうした?」 「頭領、辛そうだったから」 「――いや、俺は大丈夫だよ」 さぁお行きと背中を押すと、幾度か振りかえりながら、それでも操が陽の当たる中へと消えていく。 そうして誰もいなくなった部屋でやはり俺は泣くことも喚くこともしないらしく、ただ何もない己の掌を見つめた。 ――悲しむなんてことは土台出来ないのだ。 悲しむ資格も権利も、おそらく理由すらない。 悲しいなどという言葉を使うことすら許されないだろう。 事実、胸を占めるこの感情が悲しみというものの類なのかと問われれば、自信がないどころでは済まない。 違うような気さえするのだから全く始末が悪い。 ――悲。 ――悲しみとは一体どんな感情だったか。 昨今における心当たりがまるでない。 ――ならば。 これが、この感情が――否。 ――そんなうまい話が有る訳がない。 部屋を出て、そのまま外へ向かうと目聡く見つけたらしい刃鳥が駆け寄る。 「頭領、どちらへ――」 「うん、ちょっと葬式に」 「それは――」 「行ってくる」 「――お気をつけて」 何も言わず頭を下げてくれる副官に心底感謝しながら、先程遺体が通ったばかりなためか開いたままの門を開く。 ――せめて。 ――せめて代わりに、雨でも降ればいい。 脳に淀むそれは呪詛のような響きを持って、心中に重く広く響き渡った。 【了】 |
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