【忠義を誓う十題】 (配布元→http://lyricalsilent.ame-zaiku.com/) ばさらで初めて書いたSS群。 キャラを掴むための練習も兼ねて書いてました。 くだらないのも真面目なのも普通に混在。 1:あなたのために(幸佐) 2:器用ではないけれど(弁佐) 3:偶然も必然も関係なく(政小) 4:手足となって(幸佐) 5:望むのならば(幸佐) ______ 「っやぁぁぁぁぁ!!」 刀を振りかざし、敵方の兵が走ってくる。 肉付き、走り方、構え方。 そのどれをとっても兵とは到底言いがたい。 おそらくは、農民。 しかも、随分と若い。 ともすれば元服も迎えていないかもしれない。 「はっ」 軽く息を吐き、くないを振り切った腕と、頬に。 生暖かい血飛沫が舞った。 其の起因する全ては是 ――匂いが、付いたか。 少し血を浴びてしまったらしい。不注意だ――と、反省したところで匂いは拭えたものではないが、とにかく拭っている暇が無い以上、今出来るのは反省のみ。 佐助は本来道ですらない悪路を音も立てず進みながら、ただひたすら只管に後悔した。 忍は匂いですぐに人間の有無が分かる。 しかも刻限は、身を隠し辛い昼。血の匂いを撒き散らしながらなど、自分の居場所を知らせながら歩いているようなものだ。 少なくとも、忍のやることではない。 ――まだ任を達成しきってはいないというのに。 否、本来目的としていた任務は終わったが、残念ながら自分は未だ敵陣の中にある。両軍も未だ交戦中。達成したとは、とても言い難いというのに。 この、体たらく。 次期忍軍長の肩書きが聞いて呆れる、と、自然と唇が歪み自嘲気味に笑んだ。 忍の常識とは幾分ずれるが、『任は信により与えられ受け持たれるものである以上、請け負ったからには必ず帰還してこその完遂なのだ』と、主である幸村は常に佐助に言い聞かせる。 佐助自身はそれはおかしいと思うのだが、主が言うのだから仕方が無い。 その上、今回はその主からの任。 違える訳にはいかない。 ともすれば自決を考える頭を振り、自分は帰還しなくてはいけないのだと、強く言い聞かせて地を蹴り続ける。 昨晩の豪雨でぬかるみ、常人なら容易に歩けぬであろう地面は、それでもまだ土である分、佐助にとっては歩き易い部類に入る。 周囲の木々は未だ濡れて弱っているものが多いため地面を走っているのだが、少し不思議な気分だった。 ろくに光も届かぬ山中、道を大きく逸れた林間とはいえ、自分が堂々地を駆けるなど、戦場以外では珍しい。 「全く」 近寄ってきた気配を感じ、一人、ごちた。 軽く溜息を吐きつつ、これではな、と自身の装いを見る。迷彩で目立ちはしないが、所々に不自然に飛んだ小さな黒。 変色したそれらは全て佐助のものではないが、だが全て、佐助の体にも流れているものだ。 ――あんな些細な事で一瞬でも動きが鈍るようじゃ、忍失格だ。 自分の事ながら、流石に嫌気が指してくる。 不特定多数の人殺しなど本来は忍びの仕事ではないとはいえ、自分が『戦忍』と呼ばれる職にあるからには、これも仕事は仕事。常通りに、割り切って挑めば良い。 いつになったら慣れるというのか。 冷静に考えれば、暗殺よりもずっと楽な筈なのだ。 何も考えなければ良いのだから。 動く的が、人間であると考えなければ。 「ふっ!」 「くぅ、っ!?な、なぜ、ぇ」 気配を消していたつもりだったのだろう。 佐助が深い息と共に放った手裏剣を首に刺した状態で、忍装束の男は木から落ちてきた。 自分が何故死んだのか分からない、信じられないといった表情で。 佐助は息を確認する為に近寄った。 まだ息があるなら、その根を止めなければならない。 即死だったものか既に息もなかったが、よく見れば、これもまだ割合若い男で。佐助と同等か、それより少し若いか。 ――これは戦だ。 国の者であれば老若男女問わず駆り出されるという国もあるのだと聞いたこともある。 当然、駆り出された人々は戦場にて戦う。 殺される前に殺す。 自分が生きる為だ。国の為、なんてのは一部の武士だけで、残りはいざ戦場となれば我が身が可愛いに決まっている。 武士にはそんな事を言った所で不遜であるだの馬鹿を言うなだのと笑い飛ばされるだけなので言わないようにしているが、実際にいくつかの戦場を渡ってきても、佐助には矢張りこの判断が一番正しいように思われる。 ――戦。 佐助は考える。 別に、自分にとってこの戦は初陣でも何でもない。 人を殺すのもとうに慣れた。 ――『慣れた』 ――違う。 慣れていいものか、大体慣れていたら先程の様な失態は招かない。そうではない、そう単純なものではない。 誰を何人殺しただのという話でもない。言葉にすれば全て偽善者のようで気分が悪い。 いつか血に酔って、こちら側へ帰らなくなる日が来れば、こんな余計なものも無くなるのだろうか。そんな日が、来るのか。来ないとすれば、自分は一生これに苦しみ続けるのか。 否。 ――何に。 何に苦しむというのだろう。何が苦しいというのだろう。 馬鹿馬鹿しい。 上を向く。 佐助の眼前に、当たり前の様に空がある。 変わらない蒼、変わらない白、そして眩い、光。 「ねぇ、旦那ぁ」 立ち止まって、口に出す。気が抜けている所為で語尾が延び、稚拙な発音になったのも滑稽で良い。 普段であれば決して馬鹿らしく口に出したくない部類だが、今の自分に似合いだと、佐助にはそう思えた。 自分が戦っているのは、仕える君主の為。 なら。 「これはさ。何の為なんだろうねぇ」 戦自体は、何のためか。 考える。 これだけの人を殺し殺され、何を望むのか。 何が、それより重要なことだというのか。 なにがなにがなにがなにがなにが――――なにが。 所詮、ひとごろしじゃないか。 佐助は自嘲気味に笑い、走り出す。 時間を取ってしまった。このままでは、あんな見回りの木端でなく、追手にも追いつかれるかもしれない。 ――ああはやくあのひとのところにいかなくてははやくはやくはやく。 自分などひとごろしだろうが何だろうがいいと思う、あのひとの元へ。 ――行って、如何する? またひとごろしだ。 ――あの人の傍で? あのひととともに。 ――ああ、そうだとも。 自嘲ではない笑みが、顔に浮かぶのを感じた。 ――あのひととなら、地獄に落ちても構わない。 (ただ出来れば、あの人にはそんな所へ逝って欲しくないけれど) 【了】 ______ 器用だ器用だとはよく言われて育ってきたが。 不器用だと言われたのは、これが初めてだと思う。 否、不器用なんて言葉はそもそも今俺にそれを発した当人の為にあるような言葉で。 理不尽だな、と、声には出さずそう思った。 詰まる所其れ其の感情が 「どうした」 黙っている忍を不審に思ったのか、幸村が話しかけてきた。 佐助は咄嗟に笑う。 この城内で人と話す時は必ずこうするものだと育て親から教わったし、自分もそれが一番だと思っている。とりあえず人懐こく笑っておけば、口五月蝿い連中は勝手にこちらを見下していくし、こちらを恐れる連中も若干ながら気を許す。 潜むには、まず敵を作らぬこと。 そして味方を作らぬことが第一。 「いえ、ね。何を思って突然不器用だ等と言われたものかな、と」 先程の笑顔で眉を微かに寄せ、一応困ったように、苦笑して言う。 部屋には二人しかいない。大事な若君の護衛兼子守を任されたのは、佐助への信頼と言うよりも、単に歳が近いからというだけだろう。 佐助がこの若君の世話をするようになって、三月程。 本来ならそろそろ慣れてきたとでも言える頃なのだろうが、佐助は見ず知らずの人間を相手にすることに慣れていたし、幸村はあまりにも人見知りしない性格のため、二人の関係に特に変わった所はなかった。 少し慣れてきたと思っているのは年下の幸村より寧ろ佐助の方で、けれど佐助は決して己を開かないから、矢張り慣れも進展もあったものではなく。 単純なくせに読みにくく、一本気なくせに妙に悟った風のある幸村は、佐助のことを気に入ったやら気に入らないやら、とにかく自分で傍にいさせておいて矢鱈と文句を言いたがった。 人の眼を見て話せだとか、困っている人を見かけたら助けに行けだの。どこの教科書に書いてあったのかと思う様なことばかり、その幼い口より次から次へと出てくる。 佐助も実際に従うかはさて置き、面白半分にだが、その小言をきちんと聞いている。しかし稀に、急に自分が驚かされる様なことを言い出すので、佐助はどうにも幸村の事が分からずにいる。 軽視していると驚かされるし、深読みしすぎても馬鹿を見る。 本人は常に至って真面目、本気でいるのが余計に始末に悪い。 「何故ずっと笑っておるのだ」 佐助の問いは、何だか知らないが完全に流された様だった。 どう対応したものか少し悩んだが、結局相手に合わせておくことにして、適当な回答を口にする。 「これは癖で」 ――嘘だ。 普段から愛想良く、へらへらと笑う様な人間じゃない。目の前にいるのが幸村だから、自分の雇用主だから、こうして相手の雰囲気に合わせているだけのこと。 佐助自身は常に何も笑っていないし、当然怒っても悲しんでもいない。 ただ己に言いつけられたことを受け入れるだけで、何か思うことも珍しい。 「そうか」 幸村は俯きながらもう一度そう繰り返して、腕を組んで、少し考え込むような素振りをし。やがて思い出したらしく、何故か困ったような顔で口を開いた。 「可哀想にな」 「へ?」 自分が同情されたのだ、と。 気付くまでに、佐助は少し時間がかかった。 何故ほんの数月前は迷子になって泣いていたような子供に、自分が同情されなければならないのか分からない。 佐助は少なくとも、実際の年齢差の2、3倍は幸村との精神年齢に差を感じている。 「可哀想だ、と言ったのだ。悲しい時悲しめず、泣きたい時に泣けぬのは、悲しいことだと乳母から聞いた。そしてそれが忍なのだと」 「あぁ、はぁ、まぁ、そういうもんでしょうね」 「お前は忍なのだな」 「ええ」 己が忍だということに不満を感じたことがないとは言わない。 言わないが、物心ついてからというもの、自信や誇りを持つことはあっても負い目や苦痛を感じたことはない。 年下の上司の意図が汲み取れずにいる佐助に、幸村はつと近寄り。 その自分より少し高い頭に、小さな掌を乗せた。 「ゆ、幸村様?」 「幸村で構わぬ」 「そういう訳にもいかないでしょうが。――何ですか、突然」 「某が甘やかしてやろう」 「はぁ?」 どんな新手の冗談だと心底思って聞き返したのだが、しかし目前の少年は、真っ直ぐな目でこちらを見据えていて。 佐助は考える。 だが、幸村の考えなど矢張り全く分からなかった。 「甘やかす、って、一体」 「うむ。暫く某と一緒に居ろ」 一緒に遊べということだろうか。 ――所詮子供の言う事、そこまで考えている訳も無いのだ。 落ち着いて考えていると、幸村は笑顔を浮かべたまま。 「そんな数える程しか種類のない顔では、何かと不便であろう」 「な」 驚愕し狼狽する佐助を、如何したのだ等と言いながら本気で心配して覗き込む、その幼い顔。 もし佐助が幸村をまだよく知らないのであれば、そして幸村が雇用側でなければ、佐助は逃げ出すか、相手の首元に刃でもつき付けたか分からない。 それ程佐助は、『自分』を見られることに慣れていなかった。 己を看破する能力にかけては何故か人一倍優れているらしい主人を、佐助は見る。 丸い眼をして見つめてくるその眼には濁りも奥深さも感じられない。 あまり長い時間見ていると、悪酔いしそうな目だと佐助は思った。 「どうした?」 「い、いえ。気付いてたんだな、って」 結構自信あったんだけど、と続ける。 実際、周囲を欺く事にかけてはかなり自信があった。少なくとも、忍びには珍しく愛想の良い、愛嬌のある子だとしか言われない程度にはきちんと出来ていたのだ。 それを。 年端も行かない、大名の息子などに。 「笑顔が一つしかない。気付かない者などおるのか?」 「それで、不器用ですか」 幸村は満足げに頷き肯定する。 加えて、言われた事は無いのか、と実に不思議そうな顔をした。 ありませんよと佐助が否定すれば、ずっと気になっていたのだが、おかしいな、等と呟きながら首を傾げている様がひどく子供らしく。 口元が綻んだのを、佐助は感じた。 幸村は驚く。 ああなんだ出来るのではないかと思ったが、何故か言葉にならなかった。 良かったな、と、良かった、と。 どちらを言えばいいのかよく分からない。 自分を忍と言い最近身の回りの世話を焼いてくれる少年は、どこか引っ掛かる笑いを浮かべる少年だった。 別にその笑顔自体に違和感がある訳ではないが、笑うというよりも笑おうとして笑っているといった方が的確な瞬間に笑ってみせる。しかもよくよく見てみれば、口や眼の形が数種類しか用意されていないのが分かった。 歳は変わらないのに大人びていて、しかしその分、それが剥がれた時に必要以上の狼狽を見せる。 剥がしてあげようと、好意でそう思った。 それが事実良い事かどうか、相手にとっても良い事なのか否か、そんなことは初めから考えない。考えたところで分かるものじゃないのだから。 だから、とにかく自分にとって嬉しい方向に、変わってくれたらと思った。 「それで、どうやって甘やかしてくれるんです?」 「おお!そうだな…」 大きな声で、元気良く。 まずは木登りだ等と言うから。 佐助はひどく呆れながら。 己の口角が、再び上がっているのを感じた。 【了】 ______ 肝要なるは其の一点 「fortune」 「は?」 政宗の視線は遠い。 小十郎はその視線の先を軽く確認し、特に変わった所のない空が広がっているのを見て、て政宗に眼を戻した。 政宗の言は異国の言葉であることは分かったが、いまひとつ聞き取れず。 何を意味するものか分からない。 仕方が無いので、大人しく、気まぐれな主が言い直すのを待つことにする。 黙って座っている小十郎を見てしかし、政宗は一言、何でもないと言ったきりだった。 政宗には本来こうして縁側に腰掛けてのんびりとしている暇など無い。 だが、ここ暫く戦続きだった為に、普段なら真っ先に咎めるであろう小十郎がそれをせず。 あまつさえ、話し相手として突然呼びつけられ、座布団もなしに廊下に座しているものだから足が痛い。 かといって廊下に座布団を引くような真似もしたくなければ、主である政宗の隣に腰掛けるなど言語道断で。 小十郎は政宗の横で奇麗に正座を保っている。 空白の時間と言外に匂わせる空気で、政宗が言葉を続けないと察す。 小十郎はすっと前に手を付いて。 「政宗様、申し訳御座いません、もう一度、」 「もしお前が俺の傳役じゃなかったら、どうなってたんだろうな」 「――それ、は、」 小十郎は言葉に詰まった。 政宗は遥か遠くを見ている。 自身から過去について語ったことなど、小十郎にはない。 ただ政宗は昔から色々なことに興味を示したから、どこかで見聞きし、覚えているのかもしれないとも思う。 政宗は元服するより更に前から、親代わりであるはずの乳母――小十郎の姉に当たる――よりも、小十郎といる時間の方が長かった。 好奇心旺盛で自分の将来を確りと見据えられていたから、小十郎といた方が、学ぶ事が多いと判断したのだろう。 否、ともすれば、ただ純粋に懐いていただけなのかもしれないが。 だが、しかし。 小十郎が政宗の傳役となったのは、自身と似たような境遇の小十郎に同情したらしい、遠藤基信という家臣の推挙あってのものだ。 それにもとより、政宗の父、輝宗に仕えるようになったのも決まっていた事ではない。 境遇に同情したものか、それとも働く様子を正当に評価したものなのか知らないが、とにかく戻された片倉で神職として勤めていたところを、見初められて小姓に取り立てられただけで。 片倉家はもとから伊達家の家臣であったが、そこまで重用される程の名家ではなかった上、自身は長男でなく跡取りでもなかったのだから、これは大抜擢としか言いようが無い。 偶然、の一言に尽きるだろう。 幼い頃、各家を盥回しにされていた景綱が、こうして片倉小十郎として政宗に仕えていられるのは、全て偶然の重なり合いに過ぎない。 否、必然と言ってしまえばそれまでだが。 それは政宗にしても同様で。 そもそもが傳役に就く以前から、自らの命を賭して、政宗の突出した片目を抉り。 陰気で引き篭りがちだった政宗を救ったのは、まだ元服間もない小十郎だった。 幼少の時分に煩った疱瘡が原因で飛び出た右眼を、誰もが穢れと避け己の身を案じ口にも昇らせなかったその右眼を、政宗の呪縛ともなっていたそれを、一太刀の元に斬って捨てた。 他の誰もが自らの命惜しさに、そして政宗の様相醜さに眼を背けたその事態に、小十郎だけが、政宗のことを案じ伊達の為に命をかけたのだ。 無論眼など斬ってしまってはどうなるか分からないというのに斬れと命じたのは政宗なのだから、この時伊達の為に命を掛けたのは二人共ということになる。 政宗にも、そのことに関し感謝こそすれ恨みはない。 とはいえ直後は矢張り痛みも酷く、何か言ってやろうと思ってはいたのだが、言う前に小十郎が自分の腹に刃を付けたのを見て慌てて止めたのだった。 小十郎の存在が無ければ、今の政宗も有り得ない。 ともすれば弟に後を継がれていたかもしれないし、そもそもこの世にはいなかった可能性もある。 「――さぁ。想像もつきません」 「なら、どう思う」 「何についてでしょう」 「こうして今ここにあることを、だ」 聞くと小十郎は、ふむ、と、わざとらしく口に出し、口元に指を添え、もっともらしく考えている振りをする。 勿論普段小十郎はそんな動作をしないから、政宗は小十郎がただ己を焦らしているだけだと分かっている。 分かっているから、急かした。 「どうだ、answerはすぐ出せそうか?」 「何分考えた事もなかったもので、申し訳ありませんが、お答え出来るまでに少々時間が掛かりそうです」 「そうか。なら待ってやるから早く言え」 政宗は笑っている。 小十郎が答えるまで政宗は手元の書類に目も通さず手など全く動かさないであろうことは、小十郎にも分かっている。 分かっているからこそ早く答えなければと思うのだが、矢張り如何にも答え辛い。 せめて先程の政宗の言葉さえ分かれば、と思う。 聞こえなかったと政宗本人に露見している以上、自分も同じだと言って誤魔化すことすら小十郎には不可能なのだ。 何か良い言い回しは無いものかと少し考え、決心して、口を開いた。 「supreme bliss」 「what?何だって?」 「supreme bliss、と、申しました」 政宗は盛大に舌打ちをした。 小十郎は、政宗がその意味を聞いてこないと知っている。 政宗はその自尊心の高さからか、調べれば分かる様なことは家臣にあまり尋ねない。 それを承知の上で、だからこそ、小十郎はこの言い回しを使ったのだ。 昔辞書代わりに見た小説の言葉だが、確かこういう使い方で良かったと思う。 おそらく政宗は知るまいと使ってみたのだが、事実知らなかった様だと、小十郎は内心胸を撫で下ろした。 「運命だの、必然だの、幸運だの」 「Aa?」 続けて話し出した相手に、政宗が不機嫌な顔で振り返る。 頬が心なしか赤く見え、微笑ましさに小十郎は僅かながら顔を綻ばせた。 「そういう類のものだとは、思っておりません。そんなものは後付の論理で何とでも言えます。要は今、己の感じている事を、率直に表現しろということでしょう」 「ああ、そうだな」 「では、政宗様はどうお思いで?」 小十郎の言葉が分からなかったのなら、政宗とて、小十郎と同じだと済ませる訳にはいかない筈である。 少し意地が悪いかとは思いつつも、小十郎は、してやったりといった顔で政宗を見た。 政宗は、一瞬妙な顔をした。 驚いたような、困ったような。 だがしかし、やられた、という顔ではない。 寧ろ、小十郎が言っていることに対し違和感を覚えているといった方が適確かもしれない、と、小十郎には見受けられた。 「てめぇと、同じだ」 「それは、光栄の至り」 小十郎の耳に届いた響きにも、若干の違和感があった。 その違和感も引っ掛かったし、政宗が一体あの言葉をどう解釈して使っているものか気にもなったのだが、敢えて尋ねるのも相手を見縊っているようで失礼にあたるかと思い、結局そのことに関しては口に出さないことにした。 小十郎は頭を下げる。 政宗は分かっていないとはいえ、もしその言葉の意味をその通りに受け取るのなら、自分等には過ぎた言葉だ、と考えてのこと。 政宗に向けた頭上から、口を動かす気配がした。 何を言われるものかと、注意を耳に集中させ。 「――至福――、だろ」 小十郎は動きを止めた。 つまり、政宗は最初から言葉の意味を分かっていたのだということ。 自分の言った事と政宗の反応、そして自分の反応を思い返し、申し訳無いやら恥しいやら情けないやらで、小十郎は顔を上げられない。 勿論、小十郎がそんな事を素直に言うと思わなかったから、予想外の反応に政宗も焦り、照れ、その顔を小十郎から逸らしあらぬ方面へとを向けている。 ――困った。 沈黙の時間は、家の者が昼餉の時刻を告げに来るまで続き。 【了】 ______ 二人で 「旦那、歩ける?」 蹲る主人の脇に手を入れ、佐助は相手を支え、抱き起こした。 幸村の足、太腿の辺りには矢が刺さっている。 勿論間接や急所、骨は避けているから大した傷ではないが、だからといって満足に歩けるといったものでもない。 「ああ、だいじょう、ぶ!?」 強がりを言い、支える腕に力を入れて押し返し自力で立ち上がろうと力を込めて、バランスを崩し倒れこんだ。 右の足に力が入っていないのが脇から見ていても明らかで、佐助は苦笑する。 「あーあー。ほら、無茶しないの。余計悪くなっちゃうよ。今は大人しく甘えときなさいな」 「くっ、すまない」 「いーっていーって。さ、行くよ」 躊躇って中々回そうとしない手をとって、自分の肩に回す。 ただでさえ佐助よりは体格がいい幸村のこと、具足を付けたままの状態では、矢張り佐助には少し重い。 ずっしりとした重みを感じつつ、けれどそれは表に出さないようにして。佐助は、少し甘いもの控えたら、等と軽口を叩いた。 幸村は黙っている。 少しして、ごく小さい声で再び謝ったが、やはりそれだけだった。 俯いてしまっている幸村には見えないと思い、佐助は口元だけで笑う。 今例えば幸村を離せば、傷を追った主人は一人で歩く事すらままならない。敵の残兵が出てきたところで、幸村を守りながら、自分が戦うしかない。 ――天下の真田幸村が。 常日頃、佐助は幸村の為に働いている。 働いているが、だからといってこんな機会は滅多に無い。 己の行動が、主の生死に即直結するような。 直接幸村の手足となって、働けるような。 「久しぶりだね、旦那と二人で歩くの」 佐助が言うと、幸村が少し顔を上げた。 「最近戦とか諜報活動とかで忙しいからさ。お互い時間も無かったっしょ」 「そういえば、そうだな」 「そうだよ」 幸村の足からは、まだ血が流れている。 せめて弓は抜こうかとは思ったが、この場では応急処置しか出来ないため、失血を防ぐことを優先させ、そのままにしてある。 揺れると痛いのだろう、たまに段差や窪みにはまると幸村は顔をしかめた。 「悪いね旦那。鳥は二人じゃ飛べないし」 「構わぬ」 「馬でもその辺に居ればよかったんだけどさ、探そうにも旦那を一人にする訳にもいかないしで」 「構わぬと言っておろう」 「でも早く連れてって治療した方が良いしで、こうして、」 「五月蝿いぞ、佐助」 傷に響く――、と。 佐助には、幸村が何故そんな事を、そんな顔で言うのかが不思議でならなかった。 「大丈夫だからな」 「ああ、そう。そりゃ良かった」 「俺も歩きたい。行くぞ」 「ちょっと。別に俺旦那と歩きたい訳じゃないんだけど」 「そうだな」 「何笑ってんの旦那。さては人の言ってる事聴いてないでしょ」 ――聞いてるの。 ――それ誤解だからね。 ――勝手に思い上がらないでよ。 ――ちょっと。 幸村の快活な笑い声が、未だ硝煙昇る戦場跡に響いて。 【了】 ______ 呼称 「坊ちゃん」 「子供呼ばわりするな、佐助」 「仕方ないでしょ、まだ殿じゃないんだから」 「家長になるまで坊ちゃん呼ばわりか」 「不満で?」 「不満だ」 「じゃあ何て呼べば良いんですか」 「佐助が考えてくれ」 「えー。あ、じゃあ坊ちゃんが元服したら考えますよ」 「坊ちゃんと呼ぶな」 「じゃあ、若」 「それも嫌だ。それでは他の家臣達と変わらぬではないか」 「我侭だね幸村様」 「それはもっと嫌だ。様など付けられるような身分じゃないと申しておるだろう」 ――どうすればいいんだか。 佐助はその日何度目か分からない溜息を吐いた。 幸村はいたって真剣そのもので、険しい顔のままじっと佐助を見つめている。 『呼び方を考えてくれ』――と。 幸村に言われたのが、数刻前。それからずっと幸村の部屋で二人きり、相手が満足するような答えを出せないまま、佐助は今に至っている。 それまで佐助は、他の忍達同様に、幸村のことは『幸村様』と呼んでいた。それが普通だと思うし、実際に誰からも異を唱えられた事など無かったのだ。 それを――、本人が今更になって苦情を出してくるなど、考えもよらなかった。 大体が、何故よりにもよって自分相手にこんな事を言い出したものだろう。他の連中が相手のときに言い出してくれれば、今このように佐助が困らされることも無かったのだ。 「そうだ!」 閃いた、と言わんばかりに眼を煌めかせて、幸村が叫んだ。 「何?」 「父上と同じが良い」 「え――『旦那様』?」 「様は要らぬ」 「『旦那』?」 「嫌か?」 「いや、っていうか、うん、ねぇ」 不思議そうに首を傾げる幸村に、佐助はただただ困惑する。 おそらくは、早く大人の仲間入りをしたいのだろう。佐助があからさまに年下に対する態度で接しているのも引っ掛かっているようだし、その気持ちは分かる。 分かるのだが、そんな呼び方で幸村を呼び、変な目で見られるのは幸村でなく佐助だ。 佐助は苦笑した。 「っていうか、旦那、って歳じゃないでしょ。違和感ありすぎだって」 「そんなことはないぞ」 「そりゃ、自分はそうだろうけどさ」 「なら良いではないか。何がそんなに問題だ?」 まさか『俺の気分』と言う訳にもいかず、仕方無しに、佐助は黙ってただ頬の辺りを掻いた。 「おい佐助」 「はい、はい」 ――なに、『旦那』。 そんな、一言。音にして実に三文字程度。 瞬間、発した側の佐助が、幸村を見てその動きを止めた。たかだかそんな一言に、何故そこまで嬉しそうな顔をするものか。佐助には分からない。 分からないのだが、破顔した幸村を見ている内に、それもどうでもよくなってしまった。 「これ位でそんなに喜ばなくても」 「嬉しいのだ、仕方があるまい」 にこにこと、人好きのする笑顔を振りまきながら、幸村が答える。 佐助はつくづく閉口した。 「――それじゃ、元服したらそう呼ばせてもらうとしますかね」 「なっ、話が違うではないか!」 「違わないさ。今から旦那って呼んでちゃ、それこそ旦那様と混ざって分かりにくくていけない」 「意地が悪いな」 「そんなことはないですよ」 坊ちゃんよりは――、と。 そう言って、佐助は悪戯子のように笑った。 【了】 |