要不要 ふむ、と。 男は悠々と歩きながら軽くのどを鳴らし、値踏みするかのように小十郎を見下ろしている。 小十郎は片膝をついて肩で息をしながら、俯いて動かない。 正確には動けない。 片足の健を切られ立ち上がることが出来ないのだ。 腕も利き手である左肩を突かれ、力がうまく入らない。辛うじてまだ刀を掴んではいるものの、刀は地面に突き刺さったままである。倒れてはなるまいと小十郎が己で地に刺したものだが、それを抜くような力は最早ない。 比較的無事な右の手は身体を支えるため地に付いている。 その掌を、男は勢い良く、具足をつけた足で踏みつけた。 「っが!は、ぁ」 「存外呆気ないものだな」 男――松永久秀は言いながら、縋るようにして小十郎の左手を払いのけ刀を抜いた。 瞬間、小十郎の体が一つの支えを失い大きく傾いたが、松永は一瞥もくれず己の手中に納まった刀を見ている。 左に持ち替えた自身の刀より、実用品としての価値は良いものかもしれない。 刀身は直刃に近いだろうか。自身は漆黒でありながら光を映して光るそれは、さやけき月のようである。 何より、小十郎のここまでの強行――何人斬ったかも分からないような中央突破に付き合わされた筈だが、血痕はおろか刃こぼれ一つしておらず。 本人の腕や使い方も関係はあるだろうが、それにしても、この刀が名品である事に変わりはない。 「ほう、伊達の腹心というだけのことはある。流石に良い品だ。卿には勿体ない」 刀から目を逸らさず、独り言のように言った。 小十郎は何とか右肘で身体を支え、地から離している。 「テメェ――…返し、やがれ!」 「それが人にものを頼む態度かね」 片膝をつき刀を逆手に持ち直して、五月蝿いと言わんばかりに、柄を小十郎の頭に強く落とした。 かは、と。 口から空気の漏れるような僅かな音だけ発して、小十郎は崩れ落ちる。 そのまま暫く刀を見定めした後、松永はようやく地に伏した、黒い刀の持ち主を見た。 まるで今まで気付かなかったとでも言うように、おやおやと、呆れるような素振りをして。 「情けないとは思わないか。龍の右目ともあろうものが、そのような姿で――いやしかし、卿は意外にその格好が似合うな。恐れ入る」 「松永ァ――…テメェだけは、絶対に許さねぇ…」 「何故私が卿に許されなければならないのかね」 「クソが…!」 ぎりぎりと唇をかみ締めながら、小十郎が吐き捨てる。 唇から一筋の血が流れた。 その筋が伸びて行くのを脇目に見ながら、松永は奪った黒刀を再び地に刺し、掌を上に向けた。 「やれやれ、口が悪いな。そう軽々しく悪態を吐くものじゃない、己の評価を下げたくなければな」 「てめぇの評価なんぞハナっから望んじゃいねぇんだよ!」 「ハハハ。卿の価値が下がること、それはつまり卿を評価する独眼竜の価値も下げるのだと、理解していない訳ではあるまい」 そこまで言って、小十郎の髪を掴んで顔を無理やり上げさせた。低く僅かに、喉を揺らすような呻き声が反射的に鳴った。 卿はもう少し頭の良い男だと聞いていたが、と、男は挑発するように覗き込む。 小十郎の憎悪の光と深い怒りを湛えたその瞳を満足気に見ながら、ゆっくりと、言葉を続けた。 「さて。こちらは大切な時間を卿のために割いてやったのだ、せめて卿も何らかの娯楽程度は提供すべきではないのか」 「ふざけんじゃねぇ、誰が――」 「卿は」 男は髪を離し立ち上がって、二、三ほど歩く。 小十郎に背を向けるのは余裕からというよりも、背中を見せ隙を見せている敵を目前にして何もできないという屈辱感を煽るためである。 「主のためとあらばどのような悪名も恥も屈辱も、おそらくは甘んじて受け容れるのだろう。卿のような男には寧ろ主をいたぶった方が効果的だろうが、卿のためにそこまで時間を割くのも面倒だ」 「なら無理して構ってもらわなくて結構だ。殺すなら殺せ。勝手に死なれたくないならな」 「勘違いしてもらっては困る」 そう言うと、左手に持ち替えていた洋風の、両刃の刀を利き手に持ち直す。 そしてその切っ先を小十郎の顎までもっていき、両刃の中心に乗せて持ち上げた。 「私は卿を人質にする気など無いよ。それに、壊すのは簡単だ。ただの腕一振りで事足りる。しかしそれでは詰まらない」 言ってすいと腕を伸ばせば、刃の切っ先が小十郎の喉を掠めた。 つぷりと紅い玉のような血が浮き、その喉を伝っていく。 しかし小十郎の視線、表情、その全てに動きはない。しっかと男を見据えたまま、怯むことなくただ怒りをぶつけている。 その純粋な意思を受けながら、松永は柔らかく笑んだ。 「折角それ程の憎悪を抱いてくれているのだ。利用しない手はあるまい」 「何を――」 「なに、卿を独眼竜から奪ってやろうというだけだ」 一瞬の、間をおいて。 小十郎が口角を上げた。 己の立場や姿勢からは到底かけ離れている、心底相手を馬鹿にしきった、余裕を持った顔で。 「は、無駄な事を」 「卿はつくづく早計だな。誰も慕え等とは言っていないだろうに気色の悪い」 松永は刀を持った腕を容赦なく振り上げた。 実に自然に。弾き飛ばされた小十郎の頭など、乗っていなかったとも思えるような動きで。 その切っ先についた血を払って、小十郎を見る。 小十郎は首を押さえ俯いているが、その眼が自分をきちんと見据えているのを確認して、男は続ける。 「繰り返し言うが、私は卿にはまるきり興味がない。だが、卿の持つそれに用がある」 自分を見つめる険しい双眸を、其の中に浮かぶ色を指差して。 松永は続ける。 「卿は生かそう。そして独眼竜の元に返す。卿のことだ、どうせ生きて帰るなどと誓いを残してきたのだろう」 「どういう、意味だ」 「案外察しが悪いな。私も忙しい身なので付きっ切りというわけにはいかないが、少々もてなしてやろうというだけだ」 「目的を言え」 小十郎の記憶が正しければ、松永という男は己の欲望のままに行動するが、逆を言えば、欲望のままにしか行動しない。したがって、欲するもののためにしか動かない。 しかしその男は今、奥州に求めていた六の爪をすでに入手している。 一体小十郎から何を求めるというのか――。 色々と考えては見るものの見当がつかない。小十郎の物など、少なくとも小十郎にとっては何もない。小十郎の物、それはつまり全て政宗のものである。 したがって何であっても渡すわけにはいかないとは思うが、その目的が分からない以上、対処の仕様がない。 松永は、そうして訝っている小十郎を見、喉を鳴らしてくつくつと笑った。 「だから言っているだろう。卿からはその――」 突如向けられた深く、どこまでも見通すような眼差しに、小十郎は一瞬飲まれた。 松永はそんな小十郎にはやはり頓着なく、何事もなかったかのように話を続ける。 「鋭さを買おうと言っているのだ。健気なほど必死に隠している様だが――なに、私にしか向けぬのだから問題はあるまい。自分をさらけ出させてやろうと言っているのだ。感謝してくれてもいい」 「テメェへの憎悪なら、既に十分持ってるぜ」 「はは、威勢のいいことだ。だが――足りない」 「な――」 後頭部を強打されて、小十郎は声もなく、完全に崩れた。 最早全身に力が入らず、遠のいていく意識に必死にすがりつく、その上から。 「今は眠りたまえ。最大限の敬意を以って最大限の屈辱を卿に送ろう」 降ってきた台詞の、その意味すら理解できずに意識を手放した。 【了】 |
07/12/14・up |