【抱き寄せたくなる20題】
(配布元→http://lyricalsilent.ame-zaiku.com/)

伊達主従で20題に挑戦。
オリキャラ・パラレル何でも有。
各話の【了】をクリックするとTOP(ここ)に戻れます。


01:軋むソファーに背をあずけて(現代)
02:ひなた
03:わずかな眩暈
04:無意識
05:風に吹かれたら消えてしまいそう
06:信頼しています
07:根拠のない不安
08:約束のかわりに
09:孤独をうつしたその姿
10:すきまを埋める
11:やさしいふりでもいい
12:側にいるよ
13:説明できないけれど
14:虹をまってる
15:…酔ってる
16:大丈夫
17:きれいな微苦笑
18:かなしい、それともさみしい?
19:迷ってもいいんだ
20:いとしい




______






01





寝ている姿を、久々に見たと思った。


主人より先に寝るなだの、主人より後に起きるなだの。そんなことを自分が言った覚えはないが、何故か守られる、そうした礼儀の様なものの為。
寝ようと思って寝た訳ではないのだろう。
明らかに体制が座ったままの状態だし、いつもきちんと撫で付けてある髪が、ソファーの背に当たり崩れている。

転寝。

まどろんだ無防備な姿に、つい口が綻んだ。
普段小十郎が発している、まるで崩れる事のない張り詰めた雰囲気からすれば、自分のこの反応も当然だろう。
小十郎は滅多にそんな姿を人前に――それは勿論自分にさえ、というか寧ろ主である自分の前では余計に――晒さないし、晒したがりもしない。
つまり今のこの状況は、それだけ小十郎に、本人すら無自覚の内に疲れが溜まっていたという事だ。

起こしてやろうか、起こさないでやろうか。
どちらが相手を想っての行動か。

勿論普通は起こさない方が親切なのだろうが、小十郎は逆で、ここで起こさなければ後々余計に自分の非を責めるに違いない。


悩んだ末に。



※※※



ぎしりと、金属の軋む音で眼が覚めた。


視界がぼやけている。

自分は今どこで何をしていたのか。
段々と覚醒する頭が状況を確認しようと必死に回転する。とにかくそこが自分の家のリビングのソファーである事は認識した。

何をしていたのだろう。
確か洗濯機から取り出した洗濯物を乾燥機に詰め込み、出来上がるまでの時間はと思いソファーに腰掛け――、今に至る。

どの位寝てしまったのか、早く夕餉の支度をしなくてはと、立ち上がるため足に力を入れ、止まる。

腰に、手が回されている。

「ま、政宗、様?」

今まで気が付かなかった事が不思議な程近く、背を向けていた方のすぐ後ろに、居ない筈の主がいた。
思ったより寝過ごしてしまったものらしい。
もうそんな時間かと壁にかかった時計を見れば、政宗が普段帰る時間よりも少し早い。そういえば昨日の夜にそんなことを言っていた気がする。

「起きなくていいぜ。俺も今から此処で寝る」
「いけません、風邪を引かれます。寝るなら今毛布を、」
「いらねぇ」

腕をよけて、立ち上がろうとする腕を引かれた。
寝起きなこともありバランスを崩す。せめて政宗は踏まないようにと、少し身を捩りつつも、再びソファーに埋まってしまう。

「お前がいる」
「夕餉の支度は、」
「寝るっつってんだろ。要らねぇよ」
「しかし、」

諌言を続けようとするのだが、政宗が真剣な顔で凄みを利かし。

「俺に逆らう気か」

そんなことを、言うものだから。




盛大に溜息を吐いてしまった。




【了】


06/12/02・up




______






02





大きい訳ではないが、そこまで小さい訳でもない。

大の大人が一人で管理するには丁度いい程の広さを以って、その菜園はある。
管理していて物足りなくはないし、かといって誰かに手伝って貰う必要もない。
畑には、数種の葉が青々と茂っている。中にはじき収穫を迎えるであろう、瑞々しい実をつけている種もある。

その端に立ち、片倉小十郎景綱は息をついた。

それまでの作業による汗で、背中等では着物が少し張り付いている。
もともと汗をかかない方なので気持ちは悪いけれど、不思議と土いじりをしている時はあまり気にならない。
額に伝う汗を、手の甲で拭う。
僅かに泥が付いたかも知れないが、今ここにいるのは自分一人。
気にすることでもないとそのままに、小十郎は今まで自分が雑草除去や水撒きをしていた畑を見遣った。



小十郎が菜園を作ると言った際、政宗の反応はそれは酷いものだった。

――そんなもの作って如何する。
――素人に食える様な野菜が簡単に作れるものか。
――お前は農民か、何故。
――何故。

自分は何と答えただろうか。
古い遠い記憶を遡る。

――確か。



「まぁたここにいやがったか、小十郎」



響いた言葉に、小十郎は過去から現実へと引き戻された。

「この季節、日に二回は水を撒かねば葉が枯れてしまいます。仕方が無いでしょう」

それより何か御用ですかと、小十郎は振り向き様に問う。
少しは驚けと拗ねてみせる政宗は、その上半身の着物を完全に肌蹴させたまま、大股で小十郎の下へと進む。

「驚きました。しかし何です一体その格好は。早くお止しになられよ」
「別にいいじゃねぇか、どうせ此処にはお前以外いねぇんだ。お前こそ、そんな格好しといて説得力無いぜ」

土いじりをするのに普段着もないでしょう、服自体は確かに御恥ずかしいですが着こなしは気を配っておりますと小十郎が言えば、政宗は自分の右手を上げ、その人差し指で己の額を指し示す。
付着した泥のことを言いたいのだと、一拍おいて気が付いた。

「好きだな、お前も」
「ええ」
「覚えてるか?」
「ええ」
「何をだよ」
「宅に菜園を作っても宜しいかと、お尋ねした時のことでしょう?」

政宗は肯定の言葉を発し、菜園の脇でしゃがみ込む。さすがに草鞋で畑の土は踏めない。
それを見て、今度は小十郎が政宗に歩を進めた。
お召し物が汚れてしまいます、お止め下さいと言っては見るが、政宗は一向に立ち上がる気配がない。

「あまりに政宗様が偏食家でしたから」

――この小十郎が手塩にかけて育てた野菜なら、食べて頂けるかと思いまして。

確かにあの日、小十郎はそう言った。
そして政宗はそれを聞いて声を上げて笑い、ならやってみろ、中途半端な事はするんじゃねぇぞと激励をしたのだと、小十郎は記憶している。

「そうじゃねぇ」
「いえ、小十郎は確かに申し上げました」
「それも確かに聞いたが、それじゃねぇ方だ」

ああ、と、声を上げる。
菜園の事を告げる際、小十郎が政宗に用意していた理由は、先に述べた1つのみだった。
付け加えたそれは、ふと思い至っただけの言葉で。

何かを育てるという事、そこに。

――意味を。

「――で、政宗様は何故この様な場所までご足労になられたのです」
「用がなきゃ家臣の家に来ちゃいけねぇのかよ」
「きちんと政務をこなしておられれば、いけなくはありません」
「最低限はやって来た」
「暇になるまでやりきってからにして下さい」

政宗から腕を伸ばして、届くか届かないかの距離で小十郎は足を止めた。
それでも、政宗が『最低限』と評する仕事は、一般的な基準での『最低限』よりも一回りマシなものであると小十郎は知っているので、実際の所不満はない。
ただ、出来るのなら全部初めからやる気を出して片付けてくれと、願っても詮無き願いを唱え続けるだけだ。

なぁ小十郎、と。
呼びかけられて見下ろせば、政宗の顔がこちらを向いて。

「こんな天気の良い日に一人で机仕事なんざ、sunshineに失礼ってもんだろ」

挑戦的な眼で、見上げられて。

せめて茶位ださねぇかと急かされるままに、小十郎は畑から出た。




【了】


06/12/05・up




______






03





「では、今日も有難う御座いました」
「ございました!」
「じゃあな」

手習いの時間が終わり、小十郎、時宗丸、梵天丸がそれぞれに礼をし。
小十郎が襖を開き、梵天丸が、時宗丸を連れて退室しようとしたその時。

「待て」

つい先程まで教えを受けていた虎哉和尚の静かな声に、三人の動きが止まる。
何か仕出かしたかと顔を見合わせる三人の様子に、虎哉はつい眼を細めた。

「なんの用だよ。知ってるとは思うが、オレはこれからまたべつのところに行かなきゃならねぇんだぜ」
「いや今日は、用があるのは若ではない。小十郎」
「え――はい」

唐突に振られて驚いた小十郎は、眼を丸くしながら、それでも確りと返事をした。
梵天丸と時宗丸は、不思議そうに小十郎と虎哉の顔を見比べている。

「話がある」

そう言って、虎哉は室内から小十郎を手招いた。



虎哉は政宗の師として、輝宗が寺まで建立して招いた僧である。
普段虎哉に教えを受けるのは梵天丸(政宗)、小十郎、時宗丸(成実)の三人。
小十郎も成実もこの時まだ守役ではないが、守役に就けると既に輝宗が決めていたため共に教育を受けた。

輝宗が虎哉を招いたのは梵天丸がまだ四、五歳の頃。
時宗丸はその若すぎる梵天丸よりも一つ若いので、初めの内、実質上確りと教えを受けているのは一人年長の小十郎のみだった。
とはいえ、数年を経た今となっては、政宗も大人顔負けの答えを発せるようになったし、成実もまた一生懸命、その政宗や小十郎に付いてこようと努力している。

小十郎は政宗を成実に任せ、室内に戻り襖を閉めた。
時宗丸の落ち着きない足音を遠くに聞きながら虎哉と向き合う形で座り、小十郎は険しい顔で虎哉を見る。
緊張しているだけというよりは身構えているといった方が正しいだろう。

「如何用でしょうか、方丈様」
「そう畏まらずとも良い。何もそなたを叱ろうと言うのではないのだ」
「されど、方丈様は政宗様の師。そう寛いではいられません」
「そうか。まだ来たばかりの頃は、それでも今よりは寛いでいたと思うがな」
「――方丈様!」
「はは、矢張り元服を済ませると男は変わるものだ」

苛立ちを隠そうともしないその態度に虎哉は安堵した。
共に行動する三人の中で、小十郎は常に自然と『大人』の役回りになる。小十郎は『子供』でいられる時間がひどく少なかったのではないかと、虎哉は思う。
そもそもが、片倉小十郎景綱は幼い頃から養子に出されては不要となりまた出され、結局不要となり家元に返されたのだと、虎哉は輝宗から聞いたことがあった。
梵天丸に対し精神面での教育を担当するにあたり、周囲の人物も把握しておくに越したことはないと、虎哉は各人の性格なり出自なりについても多少は把握している。

「お前は若をどう見る」
「どう、とは」
「お前の眼から見て、若は伊達を継ぐに値する者かと聞いておる」
「ああ」

小十郎は顎に手を当てて考え出した。
齢のわりに動作や発言が妙に大人びていて面白い、と、虎哉は思う。虎哉は政宗だけでなくこの少年の頭脳も買っている。

「方丈様は、如何な答えが御望みでしょう」
「馬鹿者、儂の好みなど気にするな。正直に話せ」
「は。器は十分にあると思います。――おそらくは輝宗様よりも、戦国の武将らしい将器を持ち合わせていらっしゃると」

城主であり親代わりの様な存在であり、事実上はまだ小十郎の主である輝宗に対してそこまで言い切れるとは――。
虎哉は内心嘆息した。

「ふむ。ではその『器』というものは、お前はどの程度持ち合わせておる?」

小十郎は眉根を寄せ首を傾げた。

「そこで何故小十郎が出てくるのです」
「言うてみよ」
「比べ物になりますまい。小十郎の器など、たかが知れております」
「そうか。それならばその様な者に、若の守役が務まると思っておるのか!」

突然張り上げられた声に、小十郎は息を飲んだ。
そして高僧の気迫には空間を動かすような威力があるのではないかと訝った。肌にまで振動が伝わってきたように感じられたからだ。
虎哉はそれきり口を噤み、小十郎の反応を見ている。
小十郎は、いずれ正式に梵天丸の守役に付けられる。ならば梵天丸に相応しい能力と、そして気構えを持っていなければならない。そうでなければ、梵天丸は勿論のこと、小十郎も潰れてしまうだろう。
小十郎は虎哉の眼を見る。
怒りも悲しみも、何の感情も見て取ることの出来ない虎哉の顔に一瞬たじろいだが、すぐに眉を引き締めて。

「――失礼致しました。自分といえども主君に認められた、れっきとした伊達家の家臣が一人。その様な弱気な言を申していては、主家まで貶めるというもの――考えが及びませんで、申し訳ありません」

つと、小十郎は指を膝の前に突いて頭を下げる。
虎哉は一声かけて頭を上げさせ、そして。

「して、そなたはどう答える」

はい、と。
一旦眼を閉じ、一呼吸置いて。
ゆっくりと、小十郎は二つの瞳を再び虎哉のそれに向けた。

「梵天丸様は、真直ぐに天を見ておいでです。されど小十郎は、地しか見ることが出来ませぬ。それが決定的な違い――そして、答えです」

虎哉も小十郎を見ている。
小十郎は怖じる気配すら見せず、武士の見本のような姿勢で座っている。

「成程。お前はそう思っているのだとして、だからお主自身の将器自体は如何なのだ」
「当然のことながら、この様に日々梵天丸様のため、梵天丸様と共に、文武に関しご指導頂いておりますもので、自分をそこまで頭の悪い人間だとは思いません。武に関しても――恐れ多くも、小十郎は梵天丸様に剣の指導までさせて頂く身。そう己を軽んじてはいられません。勿論、上等な教えを受けているからとて生来の資質というものがある以上、文武双方に於いて、特別自分が優れているとも思えませんが。小十郎に出来ることといえば、ただ直に、ここに在るのみ」
「――ほう」

相槌を打ちつつ、虎哉は顎に手を当てた。

「つまり小十郎は『駒』なのです。駒など、代わりを探せばいくらでもいる。ただ探すのと、ここまで育てるまでの手間を考えれば、小十郎という駒は伊達家に、そして梵天丸様に必要にされることも可能であるかと」
「それで良いのか」
「元来己の望みは梵天丸様に必要とされることですので」

虎哉が考えていると、小十郎が、何にせよ――と、口を開く。

「齢からして、小十郎が先に死ぬのは確実。戦で御守りするのも役目である以上、下手をすれば齢に関係なくより早く死ぬでしょう。それは分かっております。小十郎が生きた証は、梵天丸様に宿っていれば、それで良いのです」

――ああ、この男は。

虎哉は眩んだ。
小十郎と梵天丸は、先程まで並んで机に座っていたのだ。
それに何故此処までの境を、そして決意を、それも言われたでなく作る必要があるだろうか。

「小十郎」
「は。何でしょう、方丈様」
「そなたが居なくなれば、若は悲しむ」
「悲しんで頂けるかもしれません。いえ、怒るかもしれません」
「主君を泣かせてどうする」
「泣いて――頂けるでしょうか。頂ければ有り難いことです。勿論、一番の望みはそんなことでは嘆きも動じもしない立派な城主になって頂くことですが――」

「そんな人間が、立派なものか」

言葉の途中で不意にかけられた語調の強い台詞に、小十郎は俯きがちであった顔を上げ、虎哉へと向けた。
虎哉の表情は普段通りだが、それでもどこか、怒っているように小十郎の眼には映った。

「方丈様」
「いいか、小十郎」

虎哉は顎を軽く掴んでいた右の手を伸ばし、小十郎の頭上に乗せ、上から強く撫でた。
撫でたと言うよりも、潰すだとか、かき回すといった方が近いかもしれない。
危うく舌を噛みそうになりながら、それでもなんとか口を開いた小十郎は、けれど何をどう問えば良いのかすら、よく分からなかった。

「ほ、方丈様、っ?」
「儂はな、小十郎。若も、時宗丸も、そなたも。まるで自身の子供のように思うておる」
「――え――」



「生きることを、諦めてはならん」



咄嗟に何か言おうとして小十郎は無理に顔を上げ、そして、固まった。
虎哉の顔に浮かぶ表情に、驚く。慈愛に満ちた、見たことも無いような、優しい顔。
しかし固まったのは一瞬で、すぐに小十郎は顔を伏せた。そういった顔の相手と向き合うのはひどく落ち着かない気分にさせられる。
気恥ずかしい。
所在無さに、小十郎はとりあえず声を出す。

「っ、方丈様は、一体何を仰りたいのです」
「分からぬか」
「一向に」
「本当に言いたい事は、残念だがまた今度にするか」
「は?一体――」



どたどた、と。

騒々しい足音が近寄ってくるのに、漸く小十郎は気付いた。
一つでない足音が乱雑に響き、大きくなり、そして。



盛大な音を立てて、襖が両に開かれた。



「おい、小十郎!んなジジイ相手にしてねぇで、とっとと用意しろ!」

開かれた場の中央に仁王立ちし、横柄な態度で言ってのけた梵天丸が、言うが早いがずかずかと侵入し小十郎の腕を引いた。

「わ、っま、待って下さい、用意とは、一体」
「梵天が、小十郎がいないと寂しいんだってさ」
「うっせぇぞ時宗。だいたい、そりゃてめぇの話だろ。俺はてめぇがあまりに弱すぎてぜんぜん相手にならねぇから、しかたなく、こうして小十郎を呼びに来てるだけだろうが」
「いえ、その、話の途中で、」
「そうじゃぞ若。小十郎は儂と話しておるのだ。今も丁度、そういつもいつも、若の我侭には付き合っていられぬとぼやいておってな」
「な、何を仰います方丈様!」

虎哉はにやにやと笑っている。
小十郎は虎哉を一度睨み、慌てて梵天丸の方へと向き直った。
梵天丸は片眼を細めて小十郎を見詰めている。

「そうなのか、小十郎?」
「いえ、決してそのようなことは、」
「なら決まりだな。さっさと立て、いくぞ!」

虎哉は、待てっくれだの自分で歩けるだの、何だやかんやと文句を言いながらも二人がかりでずるずると引き摺られていく小十郎を見ながら。



「片倉小十郎景綱は、お前が好きになってやる位には、価値のあるものだ」



梵天丸と時宗丸の声に掻き消されるようにして、言った。


言葉は勿論誰の耳にも入ることなく、ただその空間に霧散して。




【了】


07/03/15・up




______






04





「おい、成実」
「なんだよ」

主君の声に、成実は実に面倒臭気に振り返った。
明らかに主君と臣下とは思えないこの応答だが、政宗が気にしなければ、当の成実など気にしている訳も無く。そもそも従兄弟という血縁関係もあり、しかも兄弟同然に育った二人は――本人達は認めないが――悪友の様に仲が良い。
同じく共に育ってきた小十郎は、流石にそこは身分の違いもあり、政宗に対して成実の様な対応は当然出来ない。ただ伊達家の家臣であることに変わりはないので、成実に対しては、小十郎も政宗と違いまるで弟の様に接する。

「一寸付き合え。久々に手合わせでもしようぜ」
「あ?小十郎はどうしたよ。いつもは真直ぐ小十郎に――…って、ああ、なるほど。また馬鹿言って怒らせたんだろ」
「てめぇに馬鹿とは言われたくねぇよ。それに『また』ってのは何だ。俺は別に何もして――」

「政宗様!」

びくりと肩を震わせて、政宗が振り返る。
政宗の肩越しに、成実は廊下の端から早足で進み来る小十郎が見えた。普段から決して良いとは言えない人相がより一層悪くなっていることでその虫の居所を察し、成実は内心溜息を吐いた。面倒事に巻き込まれるのだということが、ほぼ確実になったからだ。

「何処へ行かれるのですか。まだ政務が終わってはいないでしょう!」

横へ来るなり、小十郎はそう言って政宗をきつく睨み付けた。傍にいた成実でさえ怯ませたその剣幕は、しかし残念ながら政宗にはまるで効果が無かったらしく、平然と胸を張って。

「悪いな小十郎、先約だ。俺はこれから成実と手合わせすることにもう一月前から決まってんだ。な、成実?」

――つまり、本当に『何もしてなかった』ってことか。

成実は顎を上げ、呆れたように政宗を見た。政宗は成実に顔を向け苦笑しながら、ちらちらと小十郎の方を盗み見る。
小十郎は「本当か?」と言うよりも「嘘なんだろ?」と言いた気な眼でじろりと成実を睨んでいた。
成実は二人の顔を見比べ、口を開く。

「――さぁ?そんな約束したような、しなかったような」
「したぜ成実、思い出せ!もう寧ろ前世からの約束かもしれねぇって位に、男同士きつく約束し合っただろうが!」

胸倉を掴んで言う必死な様子の政宗に、気持ち悪ぃ言い方すんなよと、成実は心底嫌な顔をした。
その様子を見、小十郎は呆れ顔で溜息を吐く。

「意味の分からないことを仰るな、政宗様!成実、気ぃ使う必要なんざねぇ。すっぱりと手ぇ弾いて、んなもん知るかとでも言ってやれ」
「ああ!?てめぇにゃ関係ねぇだろうが小十郎!こいつは俺と成実の問題だぜ?」
「成実はそんな約束などしていないでしょう。いい加減に、家臣を困らせるのはお止め下さい」
「約束してるかしてねぇかまだ分かんねぇだろうが。大体俺がテメェらを困らせなくなったら誰がテメェらを困らせるんだよ」
「困らないのが一番です」
「寂しくなるぜ?」
「誰がなるか!」

「おーい、お二人さん」

「「ああ!?」」

怒り顔の二人に同時に睨まれ、成実は一歩たじろぐ。
それにしても――政宗にしても小十郎にしても、よくもまぁここまで必死になれるものだな――と、成実は思う。
政宗は政務が出来ない訳ではない。寧ろ出来る。あそこまで出来、皆から褒められるのだから、成実は自分が政宗であれば仕事を好きになってもおかしくないと思う程に。
それなのに何故か政宗は、追い込まれる状況になるまで政務に手を付けようとはしない。今の様に毎度毎度小十郎を困らせては逃げ回っている。それでも政務を始めれば没頭し、食事も忘れることがあるというのだから、成実には意味が分からない。
嫌いでないのなら、これほど頑張って逃げる必要はない。成実は、ここまでしつこく怒られるのであれば観念してやってしまった方が余程良いと思う。そうすれば皆に褒められるし、小十郎だってこの様に怒りはせず、逆に褒めてくれるかもしれない――もしかしたら、当然のことだと言われるだけかもしれないけれどと、成実は政宗を冷たくあしらう小十郎を想像した。
大体小十郎にしてもそうで、ここまで言ってもやらないのだから放っておけば良いのにと思う。どうせ放っておいた所で、ギリギリになればやり始めることは分かっているのだ。小十郎が構っても構わなくとも結局政宗が本腰を入れるのは直前になってからで、結果が変わらないのだから小十郎は自分の出来ることをやって――まぁ小十郎のことだから自分の仕事は全部終わらせた上でやっているのだろうが――、あとはゆったりかまえていればいいのだ。

「元はと言えば、お前がはっきりしねぇのが悪いんじゃねぇか成実!」
「違います。政宗様が政務をなさらないことが原因です」
「うるせぇぞ小十郎!おい成実、ハッキリしやがれ!!」

ぼんやりと小十郎と政宗を交互に見比べ、逃げられる状況ではないと、成実は観念する。
一応は主君である政宗を敵に回すのは得策ではない。かといって、伊達家の運営はほぼ二人の手によるものなのだから、小十郎を敵に回すのも矢張り得策とは言えない。ただ政宗に味方しておけば、政宗は成実が小十郎をかわすのを手伝ってくれるだろうし、そもそもこういった場合元凶は政宗なのだから、小十郎の怒りは殆ど政宗にしかいかない。それに小十郎が公式業務に私怨を挟むことはないから、政宗よりも始末が楽だ。
これが子供の時分であれば、成実は間違いなく政宗の味方についた。打算的なことでなく、純粋に、小十郎をからかうのが好きだったからだ。無論今でもそうで、普段冷静だと――切れやすいには切れやすいのだが――周囲から見られる小十郎も、成実の前では兄の様にすぐ感情的に怒るのが、成実は面白いし嬉しい。
小十郎は昔から、成実にとって兄のような存在だった。政宗に対しては歳が近すぎるため、兄弟と言うよりも悪友というかライバルというか、そういう見方をしてきたのだが、小十郎は違う。初めから『大人』のようでいて、それでも何処か『子供』のようで、手の届かない所にいるようで、いつも近くにいた。大人達の言葉を分かり易く教えてくれたり、悪戯に手を貸してくれたり、笑ったり、時には怒ったり、諭したり。憧れのようなものもあり、政宗より先に小十郎の背に届いた時など本当に狂喜乱舞したものだった。
とはいえ小十郎はあくまで政宗の守役で、成実が出来ることと言えば、構われるための悪戯や、口実を作って借り出す位のこと。小十郎自身は政宗に独占されることに不満がないわけだから、成実は一方的に迷惑を掛け続けていたことになるのだが、小十郎が呆れたように笑い、頭を撫でてくれるその時の、表情と声が好きだった。そんな自分を見放さず構ってくれ、弟のように扱ってくれる小十郎が、成実はずっと好きだったし、また同時に、好かれたいとも思う。

成実は小十郎を見、それから政宗を見て笑った。

「――ああ、約束した」
「ほらな小十郎!俺のmemoryは間違ってねぇ――」
「成実!テメェ――」

「で、――小十郎もしただろ?」

瞬間、小十郎の眉間から皺が消えた。
呆気にとられる小十郎と、同じく驚いたらしい政宗だったが、政宗の方が先に状況を把握したらしく、にやりと笑った。
小十郎は二人の笑いが妙に似ていたので、従兄弟だけあって矢張り似ているものなのだと思った。

「Oh、そうだったな。行くぜ小十郎、道場だ」
「は?」
「小十郎と手合わせすんの久々だなー!前から楽しみにしてたんだぜ?机仕事ばっかだったからって、腕は鈍ったりしてないよな?」
「な?」

小十郎は、状況を把握していない。その隙にと、政宗は小十郎の襟首を持ち、引き摺るようにして歩き出した。成実もその後を
追う。

「成実、道場は空いてるのか?」
「『政宗様』がいれば関係ねぇだろ?」
「それもそうだな」
「おい!まさか…」

「今日は一日付き合ってもらうぜ、小十郎!」

約束だからな――と成実が笑顔で続ける。
政宗は振り返らずに、すたすたと歩いている。
後ろ向きで引き摺られるようにして歩く小十郎は、成実を見て溜息を吐いた。二対一では勝てないと察したものか、それとも他に原因があるのか、成実にはよく分からなかったが――

「いい加減にしてくれ…」

呆れて、けれど仕方ないといった顔で笑う。

成実は満足気に、その小十郎の手をとって走り出した。




【了】


07/01/31・up






______






05





戦場は、すっかり見通しが良くなっていた。

つい先程までは、個々を認識する事も困難なほどの人が居て。
血で血を洗う、と、そう表現される状況であったにも関わらず、終わってみれば実に味気ないものだった。
平地の脇には、季節柄、あらかた散ってしまった紅葉が疎らに立っている。その枝はあるものは焼けあるものは折れているが、それでもまだ木としての原型を留めぬものではない。
むしろその脇や下に並ぶ屍、そして幹に付着した何か赤黒いものの方が、余程原形を留めないものになっていると、政宗には思えた。

――人の世の、無常さ。

戦の覚めやらない興奮を抱えつつ、政宗はゆったりとそれを味わう。
部下は皆陣に戻し、危険だと言って制止した小十郎を逆に共につけ、歩く。先程通ったとは思えない、まるで見覚えの無い道のようだと感じられた。

「片付いたな」
「はっ」

政宗は振り返り、小十郎を見る。
戦場にてあれ程の怒気を放ち、敵兵を次々に屠っていたとは思えない、この静謐さ。
政宗は、その何ともいえない落差が好きだった。

「戦は、好きか?」
「いえ」

何事も平穏が一番、と答える。
その言が真実であり、同時に偽りであると、政宗は思う。そしてそれは小十郎自身もまた気付いているに違いない、とも。

「なら戦いは、好きか」

政宗の言葉と共に、一陣の風が二人の間を通り抜けた。

「嫌いでは、ありません」

そしてそれは過ぎ去った風に乗せるようにして呟かれた。
風に乱れた髪を軽く直し、政宗は小十郎に一歩近付く。

「小十郎」
「申し訳、ありません」
「まだ何も言ってねぇよ」

政宗がそう言うと、小十郎は再び謝った。

「何を謝った」
「覚悟は、出来ています。出来ていた筈なのに、それでも尚、武人としての勝負を望んでしまいました」
「それで、何故俺に謝る?」
「それは」

小十郎は言い澱む。
それは政宗が気付いていなければ、それに腹を立てているのでなければ、小十郎が自ら言う必要はないことなのだから。

「相手は、俺の敵だった。なら、お前が何を思って戦おうと問題はねぇ。違うか」
「――はい。失礼しました」
「待て。わからねぇ奴だな、何で俺に謝ったのかって聞いてんだろ。答えろ」

小十郎は苦い顔をした。
政宗はそれを見て笑う。

「言わなければ、いけませんか」
「おう。分からねぇからな」
「お分かりでしょう」
「さぁな、さっぱり見当も付かねぇ」
「お戯れを」
「付き合えよ」

二人の間には、手を伸ばせば届く程の距離しかない。
小十郎は黙って政宗を見ていたが、何も言おうとせずただ自身を見返す政宗に、やがて観念したように溜息を吐いた。

「小十郎が、政宗様のためでなく、戦に魅せられたことを。真に申し訳なく思います」
「反省してんのか」
「してます。だから謝りました」
「改善できるか」
「おそらく、できません。政宗様とてお分かりになるでしょう」

真っ直ぐに、その両の眼で、政宗の左眼を捉えながら答える。
政宗はその笑みを深くした。眼は笑っていないだろうが、口元が上がりきっているのだろうと、自分でも分かる。
小十郎が自分の顔を見て一瞬怯んだのを確認し、わざと裾を大袈裟にはためかせながら踵を返した。

「小十郎、帰るぞ。陣ごともう引き上げる」
「よろしいのですか?」
「お前が此処で抱かれてぇんなら帰らなくてもいいぜ?」
「小十郎はさっさと帰って眠りたいのですが」
「誰かさんが危なっかしいもんでな。生きてんだ、って、実感してぇんだよ」
「他の方法があるでしょう」
「ねぇよ」

政宗は小十郎を見ずに、付き合えと、再度命じた。
小十郎も再度溜息を吐いた。

「さっさと来いよ。本当に抱くぞ」
「馬鹿なことを仰らないで下さい」
「本気だぜ」
「だから、です」






その後、陣に帰った二人は妙に疲れていて。
部下が心配するのを小十郎が、煩いと言って一喝したとかしないとか。





【了】


06/12/19・up




______






06








もう何もこの小十郎が心配すべきことなどありませぬな。



随分とご立派になられたと、
日々誇らしいばかりです。

今は亡きお父上も、
あちらでさぞやお喜びでしょう。



引きこもりがちで、
いつも何かに怯えておられた、
あの頃がまるで嘘の様で。

今でも昨日のことのように思い出せるのに、

――政宗様。

貴方には昨日も明日も、
ただ確りと此処にある。



しかし矢張り心残りなのは、
貴方の死を祀れないこと。

政宗様の葬儀で何か不備があってはなりませぬ。

国政だけに留まらず死後の事をも任せられるよう、
きちんと家臣をお育てになられよ。

私自ら出来ればよかったのですが、
残念ながら、
流石にそれは出来ませぬ。

政宗様が私より後にお亡くなりになると、
これは仕方の無い、
全く持って覆し様のなかったことですから、
その様な顔をして、
叱りつけるのは止めて頂けますか。

あまり大きな声は出せませぬ故。



貴方の死に様を見れないことも残念で、
政宗様が如何に立派な人物であり、
如何にその生涯を遂げたか。

最後まで見届けることが出来ず、
後世にまで残すこともできず、
本当に口惜しいばかりです。



それでは、
少しばかり眠ります。

起きたらまた、
貴方の後ろを守らせて頂けますか。



起きたら。




起きたら、また。




【了】


07/09/25・up




______






07
writing




______






08





久々に見る門を潜れば、見覚えのある風景の中に、金糸の刺繍を散らした青い着物の男が立っていた。
腕を組んで仁王立ちをしている。
堂々と待ち構える主君を苦々しく思いながら、小十郎は馬上から降りた。

「案外早かったな」

青い着物の男――伊達政宗は、突然来訪した家臣を得意気な顔で出迎えた。

小十郎はこの訪問をあらかじめ連絡してはいない。
招かれた訳でもないのだが、この場合は、しないことが礼儀だと思ってのこと。

「遅いと責められるかとばかり思っておりましたが」

小十郎は勤めて平静を装って言った。
声色に含まれる怒りとも困惑とも取れぬ色にも、政宗は動じない。

「来ようと思えばもっと早く来れたってことか」
「ええ、まぁ。全て如何でも良くなり放り出せばの話ですが」
「You are crasy for me,ってこったな。いいじゃねぇか、一度位やってみせろよ」
「お断りします」

皺寄せが来て困るのはお互い様でしょう――。
続けながら、小十郎は馬を連れの者に任せた。
馬舎まで引いていくよう指示だけして、政宗に向き直る。

「して、一体何用です」
「What?妙な質問だな。俺にはテメェを招いた覚えはねぇぜ」

とぼけた顔で――とぼけていることが露骨に伝わるような顔で、政宗は言う。
尋ねて来ることを見越した上での態度、応答を、今まで散々してきたその男が。

――よくもまぁいけしゃあしゃあと――。

勿論、そうは思っても決して小十郎は口に出さない。
小十郎に出来るのは、ただ顰めっ面で溜息を吐くだけである。

「あの手紙の意図する所を訊いているのです」
「だから何度も答えてるじゃねぇか――」
「だから何度もお尋ねしております」







話は、小十郎に届いた一通の手紙からである。

白石城を守る小十郎に、政宗から書状が届けられたのが半月前。
一体何用かと開けてみれば、真白の紙の端に花押がある。

ただ、それだけである。

内容も何もない、ただ政宗からとしか分からない書状に何の意味意図が隠されているものかと小十郎は真剣に考えたが答えは出ず。
『己の至らなさゆえに理解できず申し訳ありませんがもう少し分かり易くお願い致します』という趣旨の書状をしたためて、届けさせても返事がない。
それでもその他の用件ならきちんと返事が返ってくる。

ただの間違いかとも思ったが、確認してみたところそういう訳ではないらしい。
きちんとした意図を持って出された書状だというのだから、いよいよ以って意味が分からない。
せめてどういった種の書状かだけでも明らかにして欲しいと伝えれば、返ってきたのは――――。







思い返しては頭が痛くなるばかりで、小十郎は腕を組みながら政宗をじと眼で見た。

「もう一度、念のためにお訊きしますが――あれは、その」
「Ah?だから言っただろ、LOVE LETTERだ」
「ですから何度も、あれの一体どこをどうすれば恋文になるのかと訊いているのです」

政宗は笑って首を傾げて見せた。
幼子がやれば可愛げもあるだろうが、この局面でのそれは確実に小十郎に対する挑発でしかない。

「政宗様!」
「まぁそう怒るな、LOVE LETTERはLOVE LETTERだ。一体他に何が訊きてぇんだよ」
「内容は――」
「お前ほどの男が、分かんねぇのか」

得意気に言ってのける、その言葉の意味すら分からず小十郎は次第に苛ついてくる。

政宗はそれを態々訪ねに来させる為に、自分にあの手紙を寄越したのではないのか。
だとすれば、こうして態々訪ねて来たのだから勿体をつける必要はあるまい。
それをあくまで恋文などと言い張り意味を持たせようとするのは一体何故か――。

意味が分からず渋面で考えていると、政宗が突然、小十郎へ手を差し出してきた。

「――何でしょうか」
「てめぇのことだ、どうせ持って来てんだろ?」

出せと言われたので大人しく、小十郎は持参した件の書状を取り出した。
懐から出す際に一応再度確認はしたが、矢張り書面は真っ白である。
炙り出しという訳でもないと確認したせいで若干茶色くなっている部位もあるが、まぁ大丈夫だろうと判断し何も言わず政宗へと手渡した。
そもそも真白の書状など渡してくるのが悪いのであって、様々な可能性を考えた上で実行した自分に叱られる謂れはない――。
小十郎はそう考えている。
手渡した際に政宗の眉が僅かに動いたのを見て見ぬ振りをしたのはそのためである。

「お前――まぁいい。とりあえず確かにこれだな」
「はい。ご覧のとおり何も書かれてはおりませんでしたが」
「馬鹿かお前は。これはこのままで良いんだよ」

そう言って、政宗は小十郎の目前に書状――花押を圧しただけの紙を突きつけた。


「お前が決めろ」


「――なに、を?」

意味が分からず半拍おいて問い返す小十郎に、政宗は鼻を鳴らして続ける。

「いいか。これはLOVE LETTERだ。俺はこいつをお前に出した。You see?」
「はぁ――」
「だから、内容はお前が好きに決めていい」
「え」
「お前の好きにしていいぜ。さあ、そこには何て書いてあるんだ?」

――しまった――と、小十郎が思った時にはもう遅く、政宗は早くしろと言わんばかりに書状をつきつけて来る。
如何にして誤魔化そうかとも考えたが、如何せん逃げ道がない。
予め恋文と宣言されておいてのこのこと出向いてきてしまった以上、小十郎は恋文を受け、政宗に会いに来たということになる。
恋文だと知らされた時に即、「ああそうですかありがとうございました」とでも言っておけば良かったというのに――。

こんな馬鹿馬鹿しい策に乗ってしまった自分を恥入ると同時に、こんな馬鹿馬鹿しい策を弄する政宗に対し心底呆れる。
久々に会うとはいえ、そんな理由でそんな手法で、呼び出されるのは不覚である。
小十郎とて預けられている要地の城を、わざわざ空けて出向いているのだから。

――さぁ。

さて如何するかと考えながら、繰り返し訪ねる政宗を見つめて、ぼんやりと。
ああこの人は未だにこんないたずらに成功した子供のように笑むのだなと思った。

久々に会えて嬉しいのだろうと考え、そこまできて小十郎は漸く、自分も政宗に久しぶりに会ったのだということを思い出した。
最後に会ったのはいつだったか。

――まだ奥州の地が白く染まっていた季節だったかもしれない。
今現在辺りに芽吹く野草がまだ地中で眠っていた頃、ということになるか。

頭の中ではまだ記憶を手繰り寄せながら、小十郎の口が僅かに開く。

「政宗様が――」
「Ann?」
「政宗様が、小十郎に会いたいと。また、会って直接伝えたい事があると――」

そう書かれておりますが、と意趣返しのつもりで言えば、急に慌てて考え出すのだから可愛らしいものだ――。
くすくすと笑う小十郎に、笑うなと叱咤する。
その態度もおかしくて、小十郎は笑いながら、申し訳御座いませんとそれでも一応は謝罪をした。

そうして笑っていると、政宗がむくれながら口を開き。

「大体が――『何故一家臣に突然恋文なんて寄越すのか』とは聞かねぇんだな」
「――それは今更でしょう」

ふわりと笑って見せた小十郎に一瞬目を見開いて、そしてすぐ釣られるようにして微笑み。
そうだな――と、呟くように発し小十郎の頬に指の腹で触れた。
包むようにするりと撫でられそのまま引き寄せられそうになるのを自然な動きで抜け出して、小十郎はやや大袈裟に、袴についた砂埃を払った。

「さて――」

急いで来たものですから喉が渇きました、少々休ませてくださいますか――。

小十郎がわざとらしくそう言ってにやりと笑えば、政宗は引きつった笑いを浮かべながら。
迎えの仕度は出来ているから先に上がっていろ――と残して、足早に去っていくその姿を見つめて。

――再び座敷で顔を合わせるまでに、政宗がどんな言葉を用意してくるか。

それを考えて、小十郎は再度口を押さえ静かに笑った。




【了】


08/01/24・up




______






じりじりと鳴りながら燃える火。
照らされた部屋には、向かい合って座る男が二人。
宵も更けた頃合にて。





09





誰でも良かったのです、と。



正直に、少なくとも自身の心には誠実に、小十郎はそう言った。

「そうか」

静かな声で政宗が言う。
優しく、けれど続きを促すような、酷な響きを持っているように、小十郎には感じられた。

小十郎は目を伏せている。僅かな視界の中に、握り締めた手が乗った、己の膝を見た。
僅かに、震えるようにして唇を開く。
普段は発言しようと思えば自然と開くそれは、妙に重たかった。

「自分を、必要としてくれるものなら――」

『一個の人間』ではない、『自分という人間』こそを必要としてくれるのであれば、自分は誰でも良かったのだろうと、小十郎は思う。
考えてみれば今の状況は、その居場所を自分で作ったというだけだ。

子にとって親は世界に一人、兄弟にとって兄は世界で一人。
自分が事実どのような役回りを果たしたのかは小十郎には分からないが、とにかく政宗にとって、家族のような役割を果たしてきたのは明確である。

「誰でも、良かったのです。それこそ政宗様でなく弟君でも。ただ弟君は母君が寵愛してらしたので、その『一番』となり、必要とされる存在になることは、難しいかと」

加えて、君主たる素質が無いとも思ったことは確かだが、そんなことを今更言ってみたところで言い訳がましく聞こえる気がしたので、小十郎もそこは敢えて伏せたままにしておいた。

政宗の母である義姫は、政宗を心から憎んでいた。
幼い頃に養子に出され、実の母の存在ですら、もうとっくに物心付ききった頃に初めて知った小十郎に、一般的な母の慈愛といったものは分からない。分からないが、少なくとも世間を見る限り書物を読む限り、母というものの影響力は偉大であるらしい。
そう考えれば、政宗は『かわいそう』な幼少時代を過ごしたのだろう。
勿論、政宗は多くの家臣に囲まれ、万海上人の生まれ変わりと持て囃されてきたし、少なくとも父である輝宗からは相当に愛されていた。
それは小十郎も一番近くで見てきたのだから見知っている。政宗は、きちんと大事にされていた。
小十郎にしても、内心はどうあれ、精一杯の努力をしてきたつもりである。

「私は」
「おい」
「私は、そういう人間です。貴方の思っているような望んでいるような、そういった人間では決してありません。守役としての遠藤殿からの推挙だって考えてみれば実に怪しいものです。一介の郎党の、しかも嫡男ですらない私が輝宗様に取り立てられることに、腹を立てただけかもしれない。この小十郎、自分が大した人物では無い事位、誰よりもよく存じております」

静止を聞かず、捲し立てるように小十郎は言う。
口の中が乾いていた。

政宗は小十郎を見ている。
これ以上何も言う気が無いことを伝える為、小十郎は頭を下げた。

小十郎とて政宗とて、それが小十郎の本心全てとは思っていない。
分かっているのだ、それが全てでない事は。
ただそう言われてしまった以上政宗としては少なからずそう思わなければならないし、小十郎にしても、言ってしまった以上はそこを拠り所にしなければならない。


「お前は頭が良い」


暫く間を置いて、言葉とともに政宗が笑った。
小十郎は頭を上げ、僅かに目を見開いた。驚きと言うよりは不可解なものに出会う戸惑いに近い感情を自覚しながら。

「お前は頭が良いんだ。だから自分の損になる事は言わねぇ筈だ。違うか」
「いえ、そのようなことは――」
「いいや。俺の受けた教育を、お前はもっと長い間有効に受けてんだからな、それ位は当然なんだ」
「政宗様?」
「お前は、頭が良い」

どこか張り付いた感のある笑みを浮かべながら、政宗は繰り返した。
そうして、両の手が伸び小十郎の首に回った。
政宗の顔が小十郎の肩に埋まる。小十郎はと言えば、固まったまま動かない。握った手も膝に乗せたまま、ただ僅かに――政宗の動きを阻害しないように――首を曲げ、視線を政宗に向けた。
当然、見えるのは艶やかな黒髪ばかりなのだが。

「政宗様」
「本物の馬鹿ならそこまで頭が回らない。頭が良ければ思い至るが、思い至った所で言わない。お前は頭が良い。だから、理由がある」
「政宗、様」
「考えろ――お前が考えろ」

何故そんなことを言い出したか、俺に納得の出来るような理由を今直ぐ考えろ――。

縋るように聞こえる声に、小十郎は悩んだ。
言われてみればその通りである。その様なこと言わなくてもいい。言ったところで御互いの不利益を生むだけだ。
ならば何故言ったのか。
言わなければならなかったのか。

それが全く分からない。



「申し訳ありません」
「馬鹿野郎。遅ぇよ」
「全く、面目なく」
「おいおい、考えろっつってんだぜ?答えろよ」
「申し訳ありません」




小十郎はゆるりと手を上げて、着物の肩を濡らす政宗の髪を軽く梳いた。




【了】


07/07/28・up




______






10






――お前の為でもあるんだぜ?
――なぁ、小十郎。



政宗は心中呟きながら、臣下の男を見る。
相手は文机に向かい書きものをしているらしく、流れるように筆を走らせている手が広い背中の脇から覗く。
そもそもは主君相手に背を向けるような男ではないのだが、政宗がそのまま作業を続けろと言ったため渋々従っているだけのこと。
政宗はその心中を推し量るだけで面白い。
忠義に篤いこの男のことだ、仕方ないだの何だのと自身に言い聞かせながら、据わりの悪さを耐えているに違いない――と。
そんな予想を立てられていると知ってか知らずか、ふと臣下が振り返り、口を開いた。

「――何か御用ですか」
「いや?用がなきゃ見ちゃいけねぇのかよ」

小十郎は、何もそこまでは申しておりませんと呟き、机に向き直った。

書類仕事をしている小十郎の元を政宗が訪れたのはつい半刻前。
それからずっと先程のような意味の無いやりとりと無音の時間を、政宗は満足気に過ごしている。
初めの内はさっさと戻れだの政務はどうしただの小言を言っていた小十郎も、政宗に一言、今日の分は終わった――と言われてしまえばそれまでで。
先々のことを考えれば仕事などまだ腐る程あるが、政宗に対しそんなことを言ってみたところで、考えてんよ程度しか返答が帰ってこないのは眼に見えているし、そもそも絶対的な必要性のないことまで厳しく申し付けていると、後々本当に大切な時まで言うことを聞かなくなる。

かたり、と。
軽い音を立てて、小十郎は溜息と共に筆を置いた。
硯の中の墨はもう殆どない。
墨でも擦り始めるのかと思い眺めていた政宗に、小十郎は書き込みを終えた書類を脇へ片付け、振り返って。

「――いつまでそうなさっているお積もりで?」
「いつまでがいい?」
「今直ぐにでも、退いて頂けると助かります」
「why?別に邪魔してねぇだろうが」
「気が散ります」

意地の悪い笑いを浮かべる政宗に、顔を向けているのもいたたまれなくなり、小十郎は再び机へと向き直る。
筆を取り少なくなった墨を筆に馴染ませ、書簡の返答をと、新しい紙を机に広げた。

「へぇ。俺がいるだけで気が散る、か」
「政宗様でなくとも、傍に人がいれば当然で――」



「なぁ、小十郎」



いつのまに手の届くような距離まで近寄られたのかと小十郎が驚くより先に、小十郎の首筋を、政宗の少し冷たい手が軽く、肌の表面を撫ぜる程度になぞっていく。
背筋に淡く走る疼きに、小十郎は咄嗟に腕を持ち上げ、筆が紙上に泳ぐのを防いだ。
紙が汚れていないのを確認して筆をおき、さっと眉間に皺を寄せ振り返れば、小十郎の予想よりも近い位置に、政宗の顔がある。

「――何です」
「別に」
「お止め下さい」
「何を」
「政宗様」

咎めるような視線を向ける小十郎に、政宗はただ笑う。
項を這い顎骨を伝う手は、ただその表面だけを伝っていく。

「何をやめろって?」
「悪ふざけは、よして下さい」
「ふざけてるように見えんのか」
「見えます」
「そうか。なら俺はふざけてんのかもしれねぇな」

小十郎は怪訝な顔をする。

「政宗様?」
「なんだ」
「何故、このような」
「『何故』だと?」

政宗は喉を鳴らして笑う。

政宗とて、欲情などまだしていない。
するとすればこれからのことであって、今ではない。

つまりこれは、ただの。



――ただの。



「子供の遊びだ。これだけ堂々と駄々捏ねてやってんだから、大人しく付き合えよ」
「時間がお有りなら、能の練習でもなさっては如何です」
「馬鹿言うな。そんな程度の気構えと時間で、能が舞えてたまるか」

半端に時間が空くのは好きじゃねぇ、お前は俺専用の、俺の時間を有効に使わしてくれる玩具だろうが――とは、政宗は思っても決して言わない。
言っても単に小十郎を怒らせるだけだと分かっている。加えて、言ってみたところで別段政宗も面白くない。
どちらも得をしないのならば、言う必要はない。

「丁の良い暇潰し、ですね」
「いいや?遊びは子供の仕事だぜ」
「俺は遊びの道具ですか」
「Oh,厳しいな。遊び相手ですらねぇのか」
「ないんでしょう」
「さぁな」

顎から昇り両手を頬へと沿えて、緩やかに力を入れれば存外あっさりと小十郎の顔が動いた。
政宗は自分のそれを小十郎のそれと同じ高さに合わせ、向き合う。



「お前で遊ぶか、お前と遊ぶか。それ位はてめぇで決めてもいいぜ」



政宗が提示したどちらも、小十郎の意に添った内容ではない。

小十郎の手にはもう筆は握られていない。
目の前にあるのは政宗の顔である。
こうも政宗が仕掛けてくるということは、今書き途中の仕事が別段急ぎの用ではないと、完全に露見しているのだろう。

聡い、狡い、仕様の無い人だと――小十郎は思う。
小十郎の逃げ場を緩やかに封じて、そうしながら、いつもある程度の逃げ場を用意して。自分自身への言い訳も立つ様に仕向けるのだから、単に我侭を振り翳す子供などより余程性質が悪い。



――落ち着け、馬鹿馬鹿しい。

自身にそう言い聞かせながら、小十郎は期待に濡れた政宗の片瞳を見る。

――ただの、子供の暇潰しだ。



そして。
小十郎は、ゆっくりと目を閉じた。




【了】


07/03/11・up



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11
writing




______






12



桶から響く水音だけが、その空間を支配していた。
庭園に面する廊下、その横に位置する部屋には今二人の男がいるのだが、そのどちらも中々声を出さない。
耐えかねたのか、掠れ声で――はらはらと涙でも流してみせれば可愛いもんなんだがな――と、政宗が呟いた。

「――泣けばよろしいので?」
「Shut up。いい訳あるか」

言いながら、政宗は仰向けに寝かされた状態で首を微かに動かし、傍に控える小十郎を恨めし気に睨んだ。
しかし小十郎はしれっとした顔で、水をはった桶から薄布を取り出し、きつく絞る。透明な雫が腕を伝い、捲くった袖を僅かに濡らした。
政宗は、ただぼんやりとそれを眺める。

――顔が熱い、身体が熱い、頭が呆とする。
――熱い。

身体がだるいからと医者を呼び、熱病だと聞かされたのはつい先日のこと。見舞いに来る家臣等に、その都度身なりを整え対面していた結果、拗らせて寝込む羽目になってしまった。
家臣から伝染したかもしれないという選択肢はしかし、小十郎が血相を変えて探してみても該当者がいなかったのだからまず有り得ない。
疲れが溜まったのだと周りは口々に言ったが、確かに内政に加えて戦続きで忙しかったとはいえ、政宗としては必要最低限の仕事しかしていなかったのだから避けようがなかった事態である。そうだとすれば寧ろ、それしきのことに自分の身体が付いてこなかった事が情けなく、気分も沈む。
しかも疲れではない、大丈夫だと意地を張った結果がこれ、即ち悪化である。
見舞いに来た最後の客を送り出し、そのまま崩れるように倒れこんだ政宗を見て、駆け寄ってきた小十郎が溜息混じりに声をかけてきたのもある意味仕方がないと政宗自身自嘲気味に思った。

小十郎は雫が出なくなるまで確りと布の水を切り、己の手からも水滴を払った。
桶から軽い水音がするのに政宗は耳を済ませる。庭のししおどしから響く水音より近い。
いくつか床に落ちた水滴の、染みて消えゆくのを矢張りぼんやりと見詰めながら。

「んなにきつく絞んなよ。少し垂れる程度には湿ってた方が、冷たくて良いじゃねぇか」
「濡れたままでは余計に拗らせます」
「んなことねぇだろ」
「政宗様が人間なら拗らせる筈です」
「――そうかよ」

そこで政宗は軽く舌打ちすると、黙って、天井を見上げた。
暇なので何かやる事はないかと思うのだが、染みは数えきれるような量ではないし、何かに見立てようにも切りがない上に矢張り面白くない。
そもそも退屈は苦手な性分である。

「なぁ」
「はい」
「お前、いつまでここにいれる?」

政宗の問いかけに、小十郎は僅か、眼を見開いて口元を綻ばせた。

「これは珍しい。人は病に罹ると弱気になるとは申しますが」
「何が言いてぇ。俺がてめぇ引き止めるのなんざいつもの事だろ」
「ええ。――平素であれば、『いれるか』でなく『いろ』と仰いますな」
「うるせぇな」

当前だろうが文句でもあるってのか――と、凄みながら上半身だけで起き上がれば、いえいえ御心遣い感謝いたします等とわざとらしい否定の言葉と共に額を押され、再び頭を枕へと戻された。
政宗はそのまま布団を顔に被る。
布団の下からくぐもった舌打ちが聞こえ、小十郎はくすりと微笑した。しかし笑うなという短い言葉と共に、その布団は即座に本人の手によって剥がされる。

「いろっつった所で、いれねぇだろ」
「当然です。逆に政宗様が困りましょう」

政宗が動けない以上、城内の仕事という仕事がほぼ小十郎へと向かう。
ただでさえ普段から小十郎の仕事は多く、また、政宗は自分が忙しい時やどうしても自分に伝える事のできない非常時には、小十郎を代わりとするように全体に対し命じてある。
大体が、政宗の意思を政宗に問わなくとも把握できる人間など小十郎一人しかいないのだから仕方がない――と政宗は思っているが、同時に、負担と圧力がある程度掛かっている事も知っている。
政宗を心から信じ従いたいと思っているのなら、小十郎の言葉がその代わりとなる場合、決して政宗の評判を貶めぬようその信に報いるよう、失望させぬようにと余計な気を回すことは想像に容易い。

「だから。こっちだって此処にいろ――なんざ言う気もねぇよ。馬鹿にすんな」
「それは結構」
「で、いつまでいれんだ」
「御加減を尋ねに参っただけですので、出来る限り早く戻らせて頂きたいのですが」
「How long?」
「政宗様――」
「具体的に言え。言えば諦めてやる」
「――では、後半刻ほどで失礼させて頂きます」

軽く頭を下げながら、小十郎が言う。
政宗はまっすぐ天井を見詰めながら一言、そうかと言って口を閉じた。

小十郎は溜息を吐いた。
政宗は人を、特に小十郎を困らせることにかけては天才的なのだ。
それはそんな状況にならないよう、予め出来ていなかった小十郎の責任でもあると小十郎も半ば諦めてはいるのだが――突如として無理難題を吹っ掛けれられることもあるし、妙な罠を仕掛けられることもある。
とはいえ、政宗自身が困らせようとして困らせているのなら話は早い。問題はそうではない時、つまり政宗の非を咎められない時にあるのだ。

「あまり我侭を仰るな」
「何怒ってんだよ」
「政宗様に怒ってなどおりません」
「でも、怒ってんだろ」
「当然でしょう」

何故――と、言いかけて、政宗は止まった。驚きに目が見開かれる。
小十郎は両の眼で政宗の独眼を見据えていた。
その眼に光が差し、僅かながらゆらりと揺れている。溢れんばかり、とまでは到底いかないが、少なくとも常時よりその瞳が潤っているのは確かである。

「小十郎はいつでも傍にいられるわけではないのです」

あまり心配を掛けないで頂きたい、と。
言って頬を撫でる手は、水に触れていたため常時より冷えていて。熱を持った肌には余計に心地良いと、政宗は目を細めた。

「Hunn、仕方ねぇじゃねぇか」
「分かっております」
「じゃあ何で怒ってんだ」
「政宗様には関係ありません」
「そうか」

政宗は利き手を持ち上げて、己の頬から離れようとした小十郎の手の首を掴んだ。

「そう腹を立てんなよ。別に照れることじゃねぇ」
「何が――」
「心配しすぎる自分に腹を立てるなと言ってんだ」
「勘違いなのでやめて下さい」
「It’s a joke.乗りが悪ぃな、冗談に決まってんだろ」

言いながら、空いた左手を小十郎の頬に伸ばす。
政宗自身は避けられることも予想していたのだが、意外にその手はそのまま目標に触れた。
平素からあまり体温の高くない男の肌は、やはり熱を持った手からすれば余計に冷やかだった。

「お前に責任はねぇよ」
「政宗様」
「お前は自分を責めるにかけては天才的だな。俺が判断して俺がやって勝手に俺が潰れただけだ、お前の介入する余地は無かった。違うか?」
「しかし、止める事は、」
「出来ねぇよ。俺がこうと決めたら譲らねぇってこと位、てめぇも知ってんだろうが」

得意気に笑んで、政宗は小十郎の頭に手を載せるようとする。が、今度は流石に小十郎も眉根を寄せ首を逸らして避けた。
けれど――と、あくまで自分の非を主張しようと口を開きかけた小十郎は、しかしその言葉を飲み込んだ。
仮に政宗が自身の失態だと思っているのなら、これ以上小十郎が何か言えば言うほどに、政宗にとっては逆効果にもなるだろう。

全く馬鹿馬鹿しい、と、小十郎は思う。
これではどちらが甘やかしているか分からない。下らない意地の張り合いなど、するような歳でもあるまいに。
その考えすら最早下らないのだと、小十郎は深く溜息を吐いた。

「どうした」
「いえ、――そろそろ下がらせて頂きます」
「そうか。なら次はいつ来る?」

そうですね、と、わざと焦らすように言い、顎に手を当てて悩むような素振りをして。

「お呼びとあらば」

選んだ答えは、主の意に添ったものだったらしく。
満足気に目を閉じた政宗を見届けて、小十郎は部屋を後にした。




【了】


07/09/01・up




______






なぁ、と呼ばれ、はい、と答えて次の句を待つ。





13





同席しているのは己と主のみで、主の手元を照らす篝火が時折ゆらゆらと揺れている。
もう夜も更ける頃合である。
そろそろご就寝なされてはと言うか言うまいか。
僅かな間で、そんなことを考えた。

「好きと言え」
「そのような事、強要して言わせて嬉しいですか」
「楽しいね」
「それは趣味のお悪いことで」

突如何を言い出すのかと思ったが、それ以上強請る気はないのかすぐに黙った。
こちらとしてもそれ以上何かを言うつもりはないので、同じく黙る。



再び呼ばれ、答えれば、また次の話。

「俺が憎いか」
「何を突然。慈しみこそすれ、憎しみを抱いたことなど一度もありません」
「じゃあ俺が憎めといったら如何だ」
「何故」
「お前に憎まれてみてぇからだよ」
「あまり冗談を仰られるな」
「本気だぜ」

そう言った割に視線は此方を見ていない。
先程自分と立てた陣の書き付けを、確認程度に眺めている。

「小十郎がお嫌ですか」
「まさか。お前の感情全て俺が奪ってやりたいだけだ」
「感情を」
「そうだ」
「憎しみなど、抱きませんので不可能です」
「俺に何か不満はねぇのか」
「御自身で、至らない所があるとお思いで?」
「――Hunn」
「でしょう」

政宗の視線は相変わらず書き付けの上を滑っている。
別段自分から言うことはないので、この話はこれで終わりなのだろうなと思いながらそれを眺める。



ふと政宗の視線が止まり、何か不都合でもあったかと口を開きかけた瞬間、相手から言葉が発せられた。

「何で俺の下を離れねぇ」
「まだまだ危なっかしくて、放ってはおけません。それに政宗様が、一番うまく小十郎を使えますので」
「お前はさらりとhardな事ばかり言うな」
「目標は高い方がいいでしょう」
「言ってくれるぜ」
「お嫌ですか」
「言ってほしいのか」
「もしお嫌でしたらすぐにでも」
「馬ぁ鹿」

満足気に笑うその顔を見て、自分も笑った。
主のその口が僅かに意地の悪い笑みを浮かべるまでは。



「言ってやろうか」
「――何を」
「おまえが恐れてること、嫌がることをだ」
「謹んでお断わり致します」
「ひでぇな」
「誰が」
「俺か?」
「それだから、お酷いと申し上げる他ないのです」

溜息を吐く。

呆れるのは何も政宗に対してではない。
この関係性と、不甲斐無い己自身に対するところのものだ。



「好きだ」
「ええ、私も」
「好きだ」
「有り難きお言葉」
「好きだ」
「小十郎などには勿体なく」
「好きだ」
「これ以上何をお望みで」
「好きだ」
「怖いのですか恐ろしいのですかならお止しになるといい」
「好きだっつってんだろこの馬鹿」
「ですから私もそう申し上げております」
「お前こそ怖ぇ癖に」
「ええ。私は怖いのです、それに情けなさ申し訳なさに心も痛む」
「狡いな」
「何とでも。大人ですから」
「俺が悪いのか」
「何も悪くなど。悪いとすればこの小十郎ただ一人」
「なら――」
「ですが、政宗様が望まなければ何もありませぬ故」
「――言ったら、お前のせいになるのか」
「はい」
「狡いな本当に」
「大人ですから」

そう言って微笑めば、鼻を鳴らし視線を逸らされた。
妥協と諦念で先を封じるのは年長者の特権だろう。



視線は逸らしたまま、政宗の口が再び開き、小十郎と名を呼んだ。
は、と歯切れ良く答えれば、此方を一瞥し再び視線は逸らされた。

「死ねと言ったら死ぬか」
「勿論死にます」
「つまんねぇ奴」
「従う他ないでしょう」
「理由も聞かずにか」
「政宗様が聞いてほしいのであれば」
「お前は聞きたくないのか」
「さて、どうでしょう」

試すような台詞を吐いて相手の出方を伺う。

政宗は、動かずにいる。
おそらくこの話題に関する返答は得られないだろう。



少し間が空いた。



「お前ほど欲のない奴も珍しい」
「そのようなことは。欲深く業深き人間です」
「何を望んでんだ」
「それはもう、貴方のことばかり」
「ただそれだけだろ」
「いいえ、それだけという代物ではありません。私にとっては世界の全てですから」

――そうか、と。

一言のみ発して、政宗は手に持っていた書き付けを置いた。
そしてそのまま立ち上がり、もう寝るからお前も寝ろと言って歩き出す。

政宗様――と。

呼び止めれば、振り向きこそしないもののぴたりと立ち止まった。



「明日は晴れるといいですね」
「ああ、そうだな」
「もう夜も更けて参りましたので、お言葉通り、小十郎もそろそろ失礼いたします」

「――なあ」

「はい」
「お前は明日、勝てると思うか」
「さぁ――そのように総大将が弱気では、分かりません」
「そうか」

「ええ。ですが正宗様が望み信じるならば、必ずやこの小十郎が勝利を捧げましょう」

そうか――と、実に柔らかい声が部屋に満ちて。

退室した政宗を見届けてから、小十郎もゆっくりと座を発った。




【了】


08/01/24・up




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「なんでてめぇが死んでも、俺は死なねぇんだろうな」



至極当然のことを全く以って不可解だと言っているのは自覚しているが、それでも俺は真剣だ。
本来ならそもそも考える必要もない問いだというのに、呟くように口に出したとはいえ尋ねられたのだから、相手である小十郎は可哀相に律儀に首を傾げている。

わざわざ呼び出した訳ではない。

治水や道路補修について話し合うついでに、共に食事をし。
一段落ついてから、ふとかねてから思っていたことを口にしただけだ。





17





「それは別々の人間なのだから当然でしょう――何故、そのようなことを仰います」
「考えても分かんねぇからだ」

大切だとか、半身だとか。
言葉や気持ちで何と思おうと、結局自分は自分。小十郎にしたところで――悔しいながら――当然小十郎でしかないのだ。
それが不可解でならない。
勿論そういうものだという理屈事態は理解している。
とはいえ、頭で理解していることと感情で思うこととは全く別物だろう。

「俺とお前は何でひとつじゃねぇのか、ってな。ずっと悩んでんだ」

正面に座るこの男は、俺の台詞に他の意味を探しているのか俯いて何やら考えている。
馬鹿なことを言うなと一蹴されるかと思っていたのだが、どうやらそんな気配も無い。

――こいつも大概馬鹿だ。

と、疑問を投げかけたのは自分ながら、本人に言えば恫喝されてもおかしくないようなことをしみじみ思う。

「何故そのようなことを思われます」
「だっておかしいだろうが――」

――お前が死んでも、俺は死なないんだぜ。

さも衝撃の事実であるかのようにそう言ってやれば、僅かに顎を引き、眉を寄せる。

「当たり前でしょう。死なれては困ります」
「おかしいんだよ――」

言いながら、小十郎の頬に手を伸ばす。
僅かに身を引いて避ける仕草をしたが、こちらがあまりに真剣だったせいか結局そのまま、俺の手はその輪郭を包んだ。
そのまま顔を寄せていけば今度こそ名を呼び制止されたが、構わず口を寄せる。
重ねるだけで離れれば、何か言おうとして口を開く、その隙に舌を差し入れて言葉を濁らせる。

「っま、政む――」

「こんなに好いてんのに」

そう言って、口端から垂れる唾液を拭おうとしたその腕ごと強引に抱きしめる。
力任せに抱きこんだせいでどこか痛むのか小十郎が腕の中で身じろぐ気配を感じた。
そんなことはお構いなしに、目の前にある首筋に顔を埋める。
汗や着物の香に混じり、何とも言えない、妙に懐かしいような匂いを感じた。

「こんなに大切なのに」
「政宗様」
「こんなに必要なのに」
「まさ、」
「どうしてだろうな」

きつく拘束していた腕を緩め、肩を掴んで顔を正面へ運んだ。

「俺はお前が居なくなっても普通にやれちまうんだろう」

相手の目を見て言うような事ではないのかもしれないが、お互いにこの程度で知らないような馬鹿ではない。
自分がどんな表情をして言ったのかは分からないが、小十郎は目を伏せ、あやす様な手つきで俺の背に手を回した。
そして擦るように撫でるように、優しく二、三叩きながら。

「政宗様は、それがお嫌なのですか」
「おう」
「何故です」
「馬鹿かお前は」

嫌に決まっていると胸を張っていえば、馬鹿はどちらかと一蹴された。
反論しようと開きかけた口は柔らかく手で静止され、睨み付けた先で、異様なほど穏やかな小十郎の瞳に行き当たった。

「小十郎は、あなたと共に死にます」

――貴方がいない世界に私がいて一体何の意味があるだろう――。
そう繋げるその顔には、余計な維持も誇りも羞恥すらもない。
ただ、事実を在りのまま述べているといった風に。

「例え小十郎が先に死んだとしても、生きた者の中に私は残りましょう。信じて頂きたい――他の誰でもなく――貴方の中にいる私こそが、いつも本当の小十郎です。ですから、例え私が居なくなったとしても小十郎は常に政宗様と共にあり、そして、」

――貴方の死と共に小十郎はこの世から消えます――、等と。
素面で言っているのかこちらが疑いたくなるような台詞をさらりと口に乗せる。
呆気に取られるとは当にこのことで、開いた口が塞がらない。
おそらく今俺は相当に間抜けな面を向けている事だろう。

本人はといえば自分の台詞に何の疑問も欺瞞もないのか、呆けている俺を、心底不思議と言わんばかりに首を傾げて見つめている。
当人にとって見ればこんな台詞は当然のことであり、呼吸のように容易く、自然に出てきた台詞でしかないのだろう。

そう考えて。
湧き上がる可笑しさに腹を抱えて笑い出せば、こちらの反応が理解できないのか、小十郎の眉根の皺がより一層深くなった。
それでも抑えきれずに、引き攣るように笑いながら。

「Sorry,全く以ってその通りだ。俺がどこまでも連れて行ってやるから覚悟しやがれ。散々連れ回した挙句、地獄に行っても逃がさねぇ。御伽噺のPrince同様、颯爽と登場してお前を攫ってやる」
「それでは地獄の一つや二つ、政宗様への土産に出来るようにしておかなければなりませぬな」

死んでからも大変だと、笑いながらも言ってのける、その気性が愛しい。
頭を下向きに引き寄せて額に口付けてから、そのまま見下ろす形で話しかける。

「お前みたいな馬鹿はぜってぇ死んでも治らねぇな」
「でしょうね」
「だから、お前は死んでも俺の物だ。違うか、Darling?」

答えの分かりきった問い向ければ、それでも嬉しいのか、顔を綻ばせる。
なんて馬鹿だと呟けば、極上の笑みでお似合いでしょうと返された。

――ああ、馬鹿馬鹿しい。

視線を合わせ、笑い合ったまま。
手を下方へ伸ばし襟を割ったが抵抗がなかったので、そのままゆっくりと、押し倒すように互いの体を傾けた。




【了】




08/05/21・up




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18





「政宗様」
「入れ」
「はっ」



小十郎は、天幕を捲り陣へ入った。
もう辺りも薄暗くなってきているというのに、この天幕の内だけは松明一つ焚かれていない。
辺りの明かりが洩れ出ていて、まだ外の方が明るかった――などと思いながら、小十郎は眼を凝らす。

政宗はその奥に向かって立っていた。
小十郎から見れば背を向けられていることになるので表情までは読めないが、その顔は俯くでも見上げるでもなく、ただ真っ直ぐに前を向いている様だった。

戦は伊達軍の勝利に終わり、兵達は既に身支度を終えている。
陣の中心、この天幕に籠もったきりであった政宗に代わり、小十郎が各軍に手配を済ませた。
小十郎の見立てでは、後は政宗の声一つで進軍も撤収も即座に開始できる。
あとは、政宗の言葉、意図采配次第なのだ。そればかりは小十郎にも代わりなど出来ない。

加えて、小十郎は政宗をこのまま放っておく気もなかった。
だからこうしてわざわざ人払いまでされていた主の天幕を訪れたのだ。



この日、伊達軍は二人の武将を戦場にて屠った。
一人は見紛うことなき敵、畠山義継。
これは過去にもう伊達に降伏していたのだ。その際に政宗が所領等厳しく奪ってやろうとしたものを、畠山に同情した某氏が進言したことにより、情けをかけ処分を軽くしてやった。
今回、畠山がその恩を忘れ、自らを守ってくれたその某氏を拉致し逃げたので――追い、討ち取った。

もう一人は、間違っても敵では決してない。

畠山に拉致された、某氏その人である。若くして伊達家当主となった政宗にしかし進言出来るような人物は、この奥州にそうはいない。
つまり。


――伊達、輝宗。


彼の重臣は、後を追うこともできなかった。
彼の息子は、その最期の瞬間を看取ることもできなかった。
寧ろ、その発言力が邪魔で、意図的に殺したのだとまことしやかに囁き合う連中までいる始末。それにも政宗は苛立っているのだろうと、小十郎は思う。

二人――義継と輝宗――のいる群に一斉射撃を命じたのは政宗だった。
無論、そこに輝宗がいることなど政宗も政宗以外も皆分かっていた。
その上で命じたのは政宗なのだ。
伊達軍が殺したとも逆上錯乱した義継が殺していたとも分からないが、とにかく義継の死体を検めた際、すぐ隣に転がっていたのは他でもない、ろくに武装もしていない輝宗の死体で。

亡骸を検めてみても、輝宗の命を奪ったのは、矢張り銃のようだった。
死体は銃痕の残っている以外実にきれいなもので、顔には苦痛こそあれ、怒りや驚きなどは見えなかったという。

「政宗様」
「死んだな」
「――ええ」

政宗の声は、妙に落ち着いていた。
それは小十郎も同じだった。

「お亡くなりに、なられました」
「お前にとってはどんな男だった」

父は、伊達輝宗は――と、政宗は言外に続ける。
共にいた時間で言えば、政宗より小十郎の方が長い。それは小十郎が政宗の生まれる前から輝宗に仕えており、その職務がまた小姓であったことからも明らかである。

政宗は父について、あまりに知らないことが多すぎた。
教育熱心だった輝宗は、政宗に良い師を、良い教育をと最高の環境を用意してくれた。その分、逆に父と子が一緒に過ごす時となると――家督が早く継がれ過ぎたというせいもあるかも知れないが――あまり重視されなかった。
実際小十郎は幼少期に父と過ごした記憶などろくに持ち合わせていないのだが、その小十郎から見ても、確かに少なかったと思える程で。

「お優しい方でした。誰に対しても」
「お前は、好いていたか」
「無論――本当に、良い御方でした」

その優しさが、欠点になることも多かったのだけれど。何かにつけ可哀想だと言う、その輝宗が可哀想であると、小十郎は脇で常に思っていたのだけれど。
それでも小十郎は、純粋に、輝宗が好きだった。

「そうか。俺もだ」
「はい」
「好き、だったんだ」
「はい」
「本当だぜ」
「大丈夫です、政宗様」
「――何がだ」
「小十郎は、政宗様が間違っていたとは微塵も思いません。たとえ政宗様が政宗様を許せなかったとしても、小十郎は政宗様と、輝宗様を信じております」

輝宗という言葉に反応し、政宗はちらりと眼だけで小十郎を見やった。

「何が言いたい」
「政宗様の迷い無きご判断、伊達家の未来を担う者として申し分の無いものです。輝宗様も、政宗様の頼もしい御姿に、安心して後を託されたことでしょう」

御安心下さい、と結ぶ。
小十郎の声には、翳りも迷いも無い。
政宗は漸く身体ごと小十郎へと向き直った。

「証拠は」
「『証拠』?」
「証拠はあるのかって聞いてんだよ」
「信じられませんか」
「俺は俺が信じられねぇ」
「政宗様――」
「俺は俺が為すべきだと思う様に動いた。親父だって好きだった。だが――どうだ。俺を気に食わない連中やら親父についてた連中やらが、俺は口煩い輝宗が邪魔になったからわざと殺しただのと言う」

政宗が舌打ちをした。
小十郎は眼を瞑り、ただ静かにその憤りを受け止めている。

「言いたい連中には、言わせておけば良いでしょう」
「俺も、そうは思った。だが――言われてみれば、そんな気もあったかも知れねぇなと思っちまう。否そんな事はねぇと真っ向から否定してみれば、逆に言い訳みてぇな気がして気分が悪い」
「政宗様」
「自分だけじゃねぇ、誰に対してだってそうだ。お前だって腹の底じゃ俺のことを疑ってるんじゃねぇかだの恨んでるんじゃねぇかだの、んなことしか頭に湧いてこねぇ。俺は――」
「政宗様」
「――小十郎?」

小十郎の右腕が伸び、政宗の利き手を取る。
政宗が二の句を発する前に、政宗の掌にずしりとした重みが乗せられた。

そしてまた政宗がそれを小十郎の直刀――しかも抜き身の――だと理解するよりも先に、その切っ先を握った小十郎の利き手が、彼自身の首にぴたりと添えられた。

「――何の真似だ」

政宗は、親の仇にでも対するような眼で睨んだ。
しかし小十郎は実に冷やかな視線、落ち着き払った態度で口を開く。

「この小十郎が政宗様に不安を与えてしまうようなら、すぐこの場で斬り捨てて頂くのが一番かと」
「そういうことじゃねぇだろうが」
「しかし、そういうことでもあるでしょう。今此処で、小十郎を斬るか迷いを絶つか選ばれよ」

小十郎の声に迷いはない。その指先の動き一つ、力の入れ具合一つ取ったところで矢張り迷いは見られない。

「お前を斬って何が変わる」
「何も変わらない、ということはない筈です。むしろ良い見せしめになるかもしれません。重臣であっても、二心を抱けば――勿論それはこの小十郎が二心を抱いたということにして頂かないと効果はありませんが――容赦なく斬り捨てる、と。陰口を叩く連中も、少しは減ります」
「斬らなかったら?」
「それならば、それが出来るのならば――無論、今直ぐ『前を向いて』頂きます」

陽も既に落ちている。

政宗は小十郎の眼を見ている。小十郎は眼を閉じた。
試しに政宗は軽く刀を引いてみる。が、その刀身は動じない。つう、と、一筋紅い液体が白銀の上をつたい始める。
刀を若干ながら動かそうとした事で流れ始めた小十郎の血だと、政宗は一瞬遅れて理解した。
ここで政宗が刀を放せば、刀の重みで小十郎の手が斬れるのだろう。
その刀を与えたのは政宗自身であるから、切れ味如何は政宗が誰よりも知っている。否、離したらその場で小十郎が勝手に自害を企てるのかもしれないとも、政宗は思う。
これはそういう瞬間なのだ。
共に進むか一人進むか。
留まっている暇などない。

――それならば。

「――Haha!お前は容赦が無いな」
「お嫌ですか」
「いや、――最高だ」

政宗は空いている左の手で、柄上辺りの刀身を強く握り締めた。一度に刀を三本も持ち戦場を駆け回ることの出来る、その握力で。
当然、血が流れる。
政宗はその手を小十郎の目線まで上げた。となると自然、高低差から、今度は政宗の血が小十郎の方へ流れるようになる。

「ま、政宗様!御放し下さいませ、血が――」
「てめぇからも出てんだろ」
「っそれでも、政宗様は、なりません!」
「馬鹿野郎」

柄を離した右の手で、政宗は小十郎の利き手を掴む。
触れるように、包み込むように握り、うろたえているその隙を狙い一気に剥がした。刀身を掴んだ左の手で、小十郎が離した瞬間それを奪い、政宗は虚空へ放る。

「お前は俺の右眼だろ」
「はっ。恐れ多くも」
「なら俺の一部って事だ。勝手な欠損は赦さねぇ――」

政宗はまだ血の流れる小十郎の掌を抉じ開け、その傷口を舐め上げた。
驚いて腕を引こうとするのを力づくで引き留める。純粋な腕力なら小十郎の方が上かもしれないが、政宗が手首を握り締めている分、力が入りきらないでいる。

「分かった。お前が見る所を俺も見る。その代わり、俺の見る物をお前にも見せてやる――善し悪し問わずな。どうだ、不満か?」
「――いえ。至極、光栄の至り」
「なら、いい」

言って、漸く政宗は掴んでいた小十郎の手を放した。
放した途端に殴られでもするかと若干身構えた政宗に、けれど小十郎はただ俯き傅いて。

「指示を、お願い致します」

そう一言だけ呟いた。

「――Oh、そうだったな。こちらの方が本拠に近い、一度戻って体制を立て直す。すぐにまた出るとも伝えておけ。奴等に時間はやらねぇ」
「は。――ところで、政宗様」

と、そこまで言って小十郎は顔を上げる。
政宗の眼を見て――僅か、口角を上げて。

「何だ、小十郎」
「実は数日前ひどく上等な酒が手に入ったのですが、献上しようとしたところ戦の準備で忙しく、出来ず仕舞いになっておりまして」
「それは――」
「折角の贈物、出来れば眼に見える所で飲んで頂きたい。もしよろしければ今日明日にでも、晩酌にお供させて頂きたいのですが」

宜しいですかと、優しい声色で言う。

「お前はつくづく俺に甘いな」
「ご迷惑で」
「だから言ってるだろ――」



――最高だ、と。



言って竜は、にやりと笑った。




【了】


07/01/08・up




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