日出 ぶつぶつと聞こえる小声に目を覚ます。 重い瞼を持ち上げると、痛いほどの、刺すような光が目に入った。 暴力的なその強さに眩みながら元親が身体を起こすと、それは自分のものでない部屋の、空いた障子から差し込んだものだと分かる。 「何やってんだ」 呼びかければ、小さな声が止む。 開いた障子の隙間から見える細身の背中が僅かに動いたのを元親は見た。 しかしそれ以外は何の反応も無い。 首さえ動かさず、振り向きもせずに、ただ一言。 「決まっているであろう――日輪へと祈りを捧げている」 そう言うと、再び呟き出す。 耳を澄ませて聞いてみれば、元親にも聞き覚えがある感覚がした。 これは確か――そう、儀礼の時に神主が唱える祝詞のようだと思った。 勿論何と言っているかどういう意味があるのか、また、念仏に種類等があるのかさえ、元親には分からなかったのだが。 「毎朝そんなことしてんのか」 無視する事に決めたのか、反応は無い。 反応が無いのを承知の上で、元親は続ける。 「早起きご苦労さんなこって」 「いつからやってんだ」 「楽しいか?」 「――楽しい楽しくないの問題ではない」 ふとそう言って、元就は振り返った。 お祈りとやらが終わったのだと、元親は、廊下から室内に戻ってくる元就のその動作で漸く悟る。 「これは義務だ」 「義務、ねぇ」 興味無さ気に呟き、元親はごろりと横になる。 敷いたままの布団が気持ち良い。 朝陽の眩しさが少し邪魔だが、心地良い睡魔はまた元親を緩やかに襲う。 「いい加減に起きろ。寝汚い」 「まだいいだろ」 「邪魔だ目障りだ不愉快な」 布団の位置まで辿り着くと同時に容赦なく足蹴にされ、元親はそのまま布団から蹴り出された。 畳の感触を頬に感じて、仕方なく上体を起こす。 寝間着が完全に肌蹴て着ているのだか引っかけているのだか分からない有り様になっている。辛うじて腰の結び目は解けていないが、単なる布が引っ掛かっているだけのような状態だ。 元就は嫌悪に近い表情を浮かべそれを見下ろしている。 元親はそれを見て、悪戯子のように笑った。屈託の無い、人好きのするとよく言われる笑みである。 それが元就には通用しない――通用しないどころか、逆に不機嫌にさせることが多い――ことも、元親は承知の上である。 より一層眉を顰めた元就が、服を正せもしくは着替えろと、見下しながら早口に言った。 渋々と剣呑に動きながら、立ったままでなく座れば良いのにと元親が言えば、そのような無駄な時間はないと一蹴される。 昨日の今日でそれはないだろうと思うものの、相手らしいと言えばらしすぎるその態度に納得しつつ、元親は元就を見詰めた。 兎に角、変な男なのだ。 元親とて自身を普通だと言いきれる自信は無いが、一般的な視点から言って、目の前の男が『変人』であることに間違いは無いだろうと思う。 見た目は普通である。 特に灰汁が強いというわけでもなく、肩まで伸ばした真直ぐな髪に切れ長の眼、中肉中背で、寧ろ小ざっぱりとしている位だ。 『客』として対面する分には矢張り普通で、戦国の一大名として申し分の無い対応をしてくる。 但し、人間として見れば明らかにおかしい。 常軌を逸しているとまでは言わないが、少なくとも常識的ではない。 まず兵達、そして将、ましてや自分までも駒と言い切り策を展開するその神経が同じ人間として元親には信じ難い。目的を達する為や苦境を脱するため、そして防衛のためにやむを得ず失われる命はあるが、少なくとも誰かが死ぬ事を前提とした策を立てたことなど元親にはない。 そしてまた、とても戦国時代の一武将とは思えない欲の無さも理解できない。 中国地方は確かにほぼ一体が毛利領となっているが、全国にはまるで遠い。 戦国に生まれた男であれば全国制覇を目指し覇を競い合うものだと元親は思うのだが、毛利元就という男に限り、それはないらしい。自身の領地を脅かすもののみを全て排除すれば良いと言う。 勿論相手側から攻め込んでこなくとも自分が危険分子と判断すれば制圧しに掛かるのだから決して穏健ではないのだが、要は異様に保守的なのだ。 それでいて――元親にとって一番不思議なのが、元就が自分の言葉に一々揺さ振られるということである。 ここまでそれが正しいと考え従って生きてきたのならば開き直ってしまえばいいのに、非人情を責められて動揺するのだから意味が分からない。動揺する以上はすぐに治るかと思えば、すぐにまた鉄面皮を被り平素に戻る。 元就の場合、打てば響くのにすぐに止むのだと元親は理解している。 気付いていないから気付かされれば動揺し嫌がる。 平素はそんなこと気にしていないので日常に戻ればすぐに忘れられる。 ――なぁ、と。 元親が声をかければ、障子の外、まだ全て昇りきる前の太陽を見詰めていた元就が無言で振り返った。 「酒も飲まねぇ、信頼できる部下もいねぇ。あんた何が楽しいんだ」 元就は一瞬驚いたように目を見開き、そしてすぐに。 「知れたこと」 言って元就は、僅かに口端を持ち上げた。 元就の後ろに照る陽光の眩しさに元親は目を細める。逆光になっていて元就の表情がよく見えない。 「毛利の家を、領を守り我が計を弄し我が天分を全うすること――。それが、それこそが我が至福」 はぁん、と、自ら聞いておいて気の無い返事をして。 元親は、何故自分はこんな変なのを相手にこんなことになっているのだろうか等と悩みながら、立ち上がってその相手の首元を掴み引き寄せた。 「――何だ」 いかにも不機嫌そうなその仏頂面に向かって。 間延びした声で一言、ばぁかと言って口を塞いだ。 【了】 |
07/06/11・up |