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「てめぇが誰だ。人の敷地内で何してやがる」
「俺は、まぁ俺だよ。アンタは――、見たところ、少なくとも天使じゃなさそうだな」
「ふざけんな、こっちは気が立ってんだ」

警察に突き出してやってもいいんだぜ――と、小十郎は腕を放して立ち上がり、上から見下す形で凄んでみせた。
しかし相手は気にする素振りも見せず、半開きの眼に小十郎を、そして身の回りを映している。表情の変化といえば周りを見るために首を動かした際わずか、苦痛に眉を寄せた程度。
そして『それ』はわずかに視線を動かし、あらためて自分の周囲に状況、つまりゴミ山を見た。口角を上げて、少し間をおいてから再び小十郎に視線を戻し、それでもどこか独り言のように呟く。

「地獄、って訳でもなさそうだ。地獄の責め苦にしちゃ、ゴミ地獄とか軽すぎるし」
「何意味分かんねぇことほざいてやがる。いい加減に――」
「ああ、うん。生きてるのか、俺」

心底。
安堵したようにそれだけ残し、『それ』は再び目を閉じる。
思わず呆気にとられ固まっていた小十郎だが、ふと、このまま寝るつもりかと慌てて声をかけた。

「っ、おい!てめぇ、何なんだ一体」

胸倉を掴んで引き寄せれば、ああだのうんだのと、意味のない声を発しながら閉じていた目を開く。
その眼を小十郎は覗いた。眼が合っているのに合っていないような、妙な感覚を覚えたからだ。
相手は目を動かさずに、一点を見ているような、どこも見ていないような視線を小十郎に向けていた。
その力なく開いていた唇が、わずかに動き。

「なぁ、お兄さん。お願いだからさ、今夜だけでもここに置いといてくれないかな」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ、置いとけってな――」
「別に、アンタは此処で寝る訳じゃないだろ。そのゴミ置いて戻って、何も見なかったことにしてくれればそれでいいよ。俺もアンタも、知人でもなければ出会いもしなかった赤の他人ってことさ。アンタに迷惑は掛けない。それならいいだろ」
「あの、なぁ」

小十郎は言い澱んだ。
勿論、出来る事ならこのまま何もなかったことにして、放置して帰りたいのは山々なのだから。
実際、相手自身がそうして欲しいと言っているのだからこのまま放置しても小十郎が気に病む必要はない。ただ少々、酒が不味くなり寝覚めが悪くなるだけのこと。
しかし小十郎はここに来るまでに、他の住人にゴミ袋を持った姿を見られている。この時点で、何かあった場合さすがに出会いもしなかった、ということには出来ないだろう。
小十郎が考えていると、『それ』が僅かに身じろいだ。
その瞬間、無造作に置かれた多種多様のゴミ袋に乗っていたのだから仕方の無いことだが、ゴミのベッドが崩れ体制を崩す。

「う、え――あ!?」
「おい!危な――」

バランスをとろうと動いた事で、ゴミ袋に乗っていた身体が余計にずり落ちた。
丁度上半身を乗せている部分が崩れ、頭から地面にが落ちてくる。流石にゴミ山から落ちて頭部から血でも出されたのではたまらないと、小十郎は足を伸ばす。
『それ』は実に間抜けな声を上げながら落下し、上半身が物置から外にはみ出た。頭は打たないようにと咄嗟に出した小十郎の靴の上に、後頭部を乗せて。
小十郎の持つ傘のおかげで顔は濡れていないが、傘から垂れる水滴や地面からの跳ね返りで、背や胸元の辺りが濡れていた。

物置から出たことで街灯の明りが『それ』を照らし、小十郎は改めて相手を見た。
やはり、年の頃は20そこそこといったところで間違いはないだろう。顔だけならもう少し若くも見えるが、体格のためか、20後半位までならそう言われても納得できる。
顔の作りは整っていて、意思のある眉と栗色の眼には、幼いとまではいかないが溌剌とした印象を与えている。どこか飄々とした雰囲気の、不思議な男だった。
服は所々汚れている。破けてもいるようで、あまりにも盛大なため一瞬デザインかと思ったが、その裂き目から除く赤に気付き怪我だと知った。
とりあえず退かすかと持ち上げようとしたところ、手に温い液体の感触があり。

同時に、硬い音が鳴った。

倉庫の床からである。
小十郎は視界の端に、相手の腰下に滑り込んでいく白い物体を見た。

「何か落ちたぞ」
「うん?――ああ、そうか、携帯。無事なんだ」

言うだけ言って身体を起こそうともしない男の代わりに、溜息を吐きつつ、小十郎は音のした辺りに腕を伸ばす。
放っときゃせっかく無事だったもんまで壊れちまうだろうがとため息混じりに言えば、そうだねありがとうと、妙に呆気らかんとした態度で明るく言われた。

――調子が狂う。

陰になって見えないので手探りで探せば、ストラップの紐らしきものが指先に引っ掛かった。
とりあえずそれを摘まんで相手の目の高さまで引き上げる。

「これか」
「そうそう、俺の。あ、勝手に中見ないでね」
「興味ねぇよ――」

いいながらふと持ち上げた携帯を見れば、見覚えのあるストラップが付いていた。


――これは――否、そんなことよりも早く帰らなければ。


小十郎は、頭の中に警報を聞いた。

今日は帰って、さっさと寝る。ゆっくりと寝て、明日は起きた時間に起きる。どうせ眼が覚める時間は普段とさして変わらないだろうが、気分の問題だ。予約しておいた洗濯物は終わっているからそれを干して、珈琲でも飲みながらCDをかけて、何をするか考えて、何もしないもよしどこかへ出掛けるもよし、ただ只管に平穏な、焦燥すら感じる安穏な一日を――。

視界に入るストラップは、街灯の僅かな明りを反射して光っている。
それが、小十郎にはひどく目障りだった。

耳鳴がする程の雨音。
近くの通りを車が行き交う音。
どこかの雨樋から垂れる水滴も、全てノイズとなって頭に入り込んでくる。

薄汚れた真暗い倉庫。
散乱したゴミ袋。
その上で、投げ出された四肢を繋いでいる胴。
自嘲気味に、しかしどこか満足気に笑っている男の顔。

どれをとっても不愉快だった。


――ただ、それだけだ。


軽くため息を吐いて、小十郎は勢いよく『それ』を睨みつけた。
突然のことに相手は眉を顰めたが、小十郎はそれには無反応で、ゆっくりと言葉を吐き出す。

「――身体」
「うん?」
「動かねぇんだな」
「まぁ、ね」
「で、救急車はいらねぇと」
「うん。嫌だ。ていうか、無理だから」
「――そうか」

何故、とは聞かない。
自分に降りかかる何かへの、小十郎なりの精一杯の抵抗である。

「え、わっ、ちょ」
「黙ってろ――」
「いったたたた!!痛い痛い、腕もげるよ!離してって、」
「るっせぇ、動かねぇ腕なんざいっそもげちまえばいいだろ」

盛大にため息を吐きながら、小十郎は『それ』の腕を引き、肩に腕を通した。
支えるようにして立ち上がり、かかる負荷に眉をしかめる。やはり重い。同程度か、少し軽い程度だろうと想定していた小十郎には予想外の重みだった。
舌打ちをしながら、それでも自分を下ろそうとはしない小十郎を男は見つめている。
男は小十郎の意図が読めないらしく2、3秒おいて、身じろぎながら慌てて声を上げる。

「ちょ、ほっといてくれって言ってるだろ!」
「少し黙ってろこのボケ」
「こんっな雨の中に怪我人放り出すなんて本気かいお兄さん!」
「だから黙ってろっつってんだろうが!」

これ以上五月蝿く騒ぐなら放り出すぞ、と、明らかにそうでないことを示す言葉を続けて吐く。
――不本意さに頭が痛い。
小十郎は溜息混じりに、分かったら大人しくしてろと、ぞんざいに呟いた。

「え、あ――え?な、んで」

そんなものはこっちが聞きたいと心中で叫びながら、小十郎はそれを無視した。
これで少なくとも予定していた貴重な休日が失われたのだ。自分の馬鹿さ加減に嫌気こそ刺せ、理解や理由付けなんて面倒でする気が起きない。
説明なんて全くの論外で、口を開き、のどを鳴らすことすら面倒だった。
だから、何も言わなかった。

「なぁ――ねぇっ、てば。おにいさーん、聞いてる?おーい」

小十郎はただ黙々と足を動かす。
男一人を外から引きずっているため汚れるかもしれず、ふと階段の方がいいかとも思ったが、そこまでしてやるのも癪だったので普通に正面から入りエレベーターを目指す。
頑なに無視し続けていると、男はじきに静かになった。
ようやく諦めたかと思い小十郎が目をやれば、きょろきょろと周りを見ていたらしい男となぜか眼が合った。

「お兄さん、ってさ」
「何だ」
「損するとか馬鹿だとか、よく言われない?」
「テメェに言われたかねぇ」
「ひっどいなぁ」

あははと力なく笑って、少し間をおいてから。



『それ』は慶次と名乗った。



小十郎はただ、そうかと答えた。
それ以外に何か言葉を発するのが面倒だった。



エレベーターが到着したので、わざと揺らすように、ずかずかと乗り込む。
爪先が引っかかる慶次を無理に引きいれてボタンを押した。



慶次はそれきり何も言ってこなかったが、それが逆に異様なほど居心地が悪く、小十郎は口を開いた。

「聞きたきゃ聞けよ」
「いや、いいよ」
「本当だな」
「じゃあ、嘘かもしれない」
「てめぇ叩き付けるぞ」

声から本気を感じ取ったか、慶次は軽くうめくような声を上げて俯き、黙った。
小十郎は真っ直ぐ前を向いている。
エレベーターの階数表示が上っていく。もうすぐ最上階に、自分の部屋につくのだろう。
到着の音に埋もれるように僅かな声で、小十郎は声を洩らす。



「――小十郎だ」



そっか、小十郎さんか――。
どこかほっとしたように、慶次は聞いたばかりの名前を復唱した。



――馬鹿馬鹿しい。



小十郎はそう思った。

何が、だの。
何処がだの、誰がだの。

そんなことは自分以外が決めることだと、諦めのように思考をやめて外に踏み出す。



開いた扉から、入り込む雨音。
そればかりが相変わらずざぁざぁと、不愉快なことこの上なかった。








思ってより長くなりました回想。
本当はもう少し長く書きたかったんですが、またいずれ。



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