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小十郎がこの歳の離れた知人――小十郎としては、友人とは思わないし別段思いたくもない――と知り合ったのは、去年の暮れのことである。



たまの休日。



同居相手は学校の行事だとかで、丁度その日は留守にしていた。
夜の内にゴミを捨てておこうと、深夜に小十郎はマンションの一室を出る。部屋を出る前にジャージはどうかという考えが脳裏をよぎったのだが、時は深夜、人ともそう出会うまいと思い直して鍵を掛けた。
エレベーターを降り、鍵を開けて外に出る。途端、ひんやりと湿り気を帯びた空気に、ざぁざぁと、耳障りな程の雨音。
部屋から持って出た黒傘を開いた。
寝間着にしているジャージの裾が濡れ、戻ったら着替えるか等とぼんやり考えながら歩みを進める。


マンションの前、指定のゴミ捨て場に。

『それ』はうち棄てられたように落ちていた。


ゴミ捨て場になっている物置には、既にいくつかの袋が置いてあった。明日は燃えるゴミの日だが、中身の見える袋の中には、明らかにペットボトルや金属が見え、小十郎は余計に不愉快になる。
ただでさえ、行き倒れだか家無しだか死体だか知らないが『それ』が倒れていること自体が既に不快なのだ。
『それ』は小十郎が見ている間、ずっと微動だにしない。
うつ伏せに倒れたまま、そもそも生きているか死んでいるのかさえ分からない。辺りの暗さや、雨音のせいもあるだろう。
小十郎は、少なくとも一般人よりは気配というものに聡いが、その小十郎を以ってしても見ているだけでは分からなかった。

若い男のようだった。
体格は良いが、そこまで歳な風ではない。散々乱れているが、もとは一つに結われていたであろう茶の長い髪を見て、小十郎は少なくともこの男は自分と気が合わないだろうなと判断する。
死んでいるのなら哀れだと思った。生きているのなら、帰らせるなりどかすなり救急車を呼ぶなり、何だって出来るだろうしすぐにでもそうした方がいいだろう、とも。

その時小十郎は、関わり合いにならない方が身のためだという警告を、頭の片隅に聞いた。
小十郎自身、それが正しいと思う。こんな所でこんな倒れ方をしている以上、堅気の人間であるかすら疑わしい。
通り魔にあった被害者ならこんな所に収容されないだろうし、辺りに家がない訳でもないのだから、自分で進んで入るとも思えない。普通は、助けを呼ぶためにも安心を得る為にも、まずは民家を訪ねるだろう。

面倒事に巻き込まれるのは御免である。
小十郎は決して好奇心旺盛な方ではないし、立場的にも、あまり勝手な行動は出来ない。可能な限り、面倒事は避けるに越したことはないのだ。

つらつらとそんなことを考えながら、小十郎の右腕は『それ』の上にゴミ袋を落としていた。
そう広くはない物置に寝そべっているのだから仕方が無い。自分への言い訳の様に、避けてやるのも面倒だったのだという言葉が浮かぶ。
そもそも小十郎にしてみれば、自分にはなんの非も無いのに不快感を与えられたのだから、被害者は自分側である。こちらが気を使ってやる理由など無いのだ。



ひゅう、と。



僅かながら、息の漏れるような音が聞こえた気がした。
小十郎の中で、警告がその音量を増す。小十郎とて懸命な判断は、自分がどうすることなのか自覚している。
この男がもし生きているのなら、目を覚ます前に去らなければ。
去らなければ、何らかの関わり合いが生じてしまう。
後悔は生じてからでは遅すぎる。

運は、悪い方である。
自分でもそう思うし、人からも言われるのだから間違いはないだろう。つまりこういう手合いは避けて通った方がいい。関わればまた、災難がふってくるに違いない。

小十郎は再び『それ』を見た。
矢張り暗闇で、服の色までは分からないが、五体満足に繋がってはいるようだった。
ただ見たところ服が異様なほど汚れているし、所々破けている。おそらくは、デザインではない。
一瞬文無しが雨宿りしているだけかとも思ったが、倒れている姿勢から、まず除外される選択肢である。寝床として選ぶならもっと快適な寝方があっただろうし、駐輪所だってあるのだから何もゴミ捨て場でなくて良い筈だ。

雨はただ強く降っている。

傘があっても裾は濡れる。帰ったら洗濯か――と、小十郎は自身の足を睨んだ。
段々と濡れた範囲が広まって気持ちが悪い。今日は早く部屋に戻って、一杯飲んで早く寝て、明日という、久々に一人の休日をのんびり過ごすのだと――楽しみに、心に決めていた。このままではそれも台無しになる。
とは言った所で、このまま放置して行けば寝覚めも悪く、酒も不味くなるに決まっているのだ。

幾日、幾月続くかも分からないその不快感と比べて、今『それ』に関わるのとどちらが面倒か――。
それは考え出した時点で小十郎の負けだった。



小十郎は意を決して、『それ』の肩を支えながら――少々乱暴にではあるが――仰向けに引っ繰り返した。
支えた腕に鼓動が伝わる。どうやらまだ生きているらしい。
そしてそのまま首と顎で傘を押さえつつ、空いた左手でその頬を軽く叩いてみた。

「おい、起きろ。寝るなら帰ってからにしろ人迷惑な」
「う、ん」
「おい――」

『それ』は薄らと眼を開いた。

小十郎はとりあえず救急車でも呼んでおくべきなのかと迷ったが、万が一警察沙汰になった時に、話を聞かれるのが面倒で嫌だった。
そもそも救急車が必要なのかも分からない。今の時点では、こちらに気付かず寝転がっていただけなのだ。
相手はただ寝ていただけかもしれないのだから――と、自分に言い聞かせながら小十郎は瞬きを繰り返す相手の顔を眺めていた。



「誰だい、アンタ」



『それ』は、実に剣呑な態度でそう言った。








ジャージ。




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