【才蔵と佐助】






――つけられている。



相手は一人。
その動きと気配から察するに手練のようだが、『霧隠才蔵』に追っ手一人とは随分と舐められたものだと、才蔵は思った。
木っ端程度であれば付いて来れぬだろうと足を速める。が、相手が脱落する様子はない。

才蔵とて、自分の名が少なからず――忍び以外の世界では知らないが――売れているのは自覚している。噂に余計な尾びれがついて、その名が一人歩きしかけていることも知っている。
その上で、一人で自分に用があるというのだから余程自分の腕に自信のある者なのだろう。
相手の目的が名声を得たいがための腕試しではなく何らかの依頼だったとしても、『霧隠才蔵』がどの勢力にも属していない以上、機嫌を損ねた途端に突然殺されるということもあり得るのだ。

直接話すのは一人だとしても、依頼である場合は連絡係が付く筈だが、相手の動きからもその気配は感じられない。
おそらく腕試しの挑戦者だろうと判断し、不意打ちに備え才蔵は気を集中させる。
そしてそうしながら、一応は腕試し以外に自分が狙われるような理由があったかを思い返してみるが、心当たりはまるで無かった。



霧隠才蔵は伊賀の出身で、かの石川五右エ門と同じ師を持つ忍である。
忍術体術共に秀で、師である伊賀忍者の百地三太夫の元を離れて後は、特定の家に仕えるということもなく。個々の依頼を請負うなどして、諸国を漫遊する日々を過ごしていた。

常がその調子なので、任務中以外は誰かに狙われることも少ない。
忍びは道具である。
例えば刀で斬られたからといって刀に報復する者がいない様に、忍によって秘文書が盗まれたとしても、忍に害が及ぶのは文書を無事依頼主に届けるまでの間のこと。
それ以降に恨みを引き摺るような者や、忍個人に特別な執着を見せる者はそうはいない。
消息が掴み難い上、最早敵でも何でもない相手に時間を割くのは無駄だ。寧ろ自身がしてやられたのであれば、有能な忍であるから雇い入れたいと思うのが的確な判断だろう。

そういった誘いも、実際に今まで数多くあった。
聞いた事も無いような小領主から名声轟く大名家まで様々だが、しかしそのどれに対しても、才蔵は諾と言わなかった。
仕事振りや実力から自分に噂や名声がつくのは結構な事だが、そこに主だの派閥だのが付属した際、自分に対して主や派閥に対余分な評価までもが加わるのが気に食わない。ただ己の力を発揮し、そしてただ純粋に己の実力のみを評価されてこそ喜ばしいものだが、余分な価値は要らない。



才蔵が此処を訪れたのは、ある男と会うためである。
約束をしている訳ではない。また、男がどこにいるかも正確な情報は分かっていない。それでも、才蔵は会えるという確信に近い予想のもとにこの土地を訪れた。
あわよくば相手に会うだけでなく済んで欲しいものだと才蔵は思っているが、それは相手の性格にもよるだろうし、大体が、その男に関する噂が真実でなければ会う意味もない。
実物を見たことが無い才蔵にとってその男はまだ実体を持たず、諸国を回っている内に聞いた噂話に過ぎないのだ。
しかし一人や二人から耳にした程度の噂話ではない以上、信憑性は高いだろう。



――猿飛、佐助。



その男は信州、武田軍武将が一つ真田家に属する忍で、聞いたところによれば双つとして並ぶ者の無い実力者らしい。
元来、忍としての実力にのみ執着を持ってきた才蔵のこと、『並ぶ者無き』とまで言われるのであれば、自然と興味も湧く。

無論、猿飛佐助は一国に属する忍である。従って、才蔵が武田の敵国に属する忍とならなければ、対峙することも叶わない筈だったのだ。本来であれば。
しかしここ最近、才蔵の周囲にとある噂が立った。

――『猿飛佐助』が、この辺りを探っている、と。

勿論才蔵にはその理由は分からない。知る必要が無いのだから興味もない。
大切なのは、「猿飛佐助がこの辺りに出没する」ということ。
自分が会って手合わせをする機会があるか否か、その一点に尽きる。

周囲に聞き込みをしつつ回っていたのだが、そうしている内に才蔵は、逆に自身を探している者の存在を知った。
聞く所によれば、それは男であったり、女であったりしたらしい。また青年であったとも、熟年であったとも。
才蔵には、そんな多種多様な人物に探される覚えはない。出現位置や時間差から察するに、おそらく相手は一人。変装でもして回ったのだろう。
声色まで変えれるとなれば、相手も、少なくとも変装に関しては相当の手練。



――今現在、自分を付けている人物がそれなのではないか。



才蔵は足を止める。
後に続く気配も止まった。
少し息を吸い、止め。手を後ろに回し、才蔵は腰から一本の棒手裏剣を取り出す。



静寂。



突如として。
前方から吹き込んだ風とともに、隠そうとしないその気配に向け、才蔵は手裏剣を放った。

ざ、と。

木が揺れる。中心は才蔵が狙いを定めた部位である。少々大きめの椚の、その上方。
無数の葉が舞う。
枝から跳ねた気配は才蔵の目前、間合いの一歩外に平然と降り立った。
音も立てないことに才蔵は感心しつつ、漸く姿を見せたその相手を観察する。

年の頃は自分と同程度だろうか。
妙に目を引く橙の明るい髪に、愛嬌はあるが地味な顔つき。髪型の所為もあり燃えているかのように見えるその頭とは対照的に、表情はどこか曖昧で緩い笑みを湛えている。
頬と鼻に妙な化粧がしてあり、また服装の模様も、才蔵には見たことの無い柄だった。
暗い緑を基調にした、斑模様。森の中で忍ぶには、成程便利なのかも知れぬと思う。

無言で才蔵が見詰めていると、その男は困ったように眉根を寄せ、しかし笑いながら口を開いた。

「物騒だねぇ、どーにも」
「誰だ」
「霧隠才蔵って、あんたのことだよな」
「誰だと聞いている」




「佐助。――猿飛佐助」



男は一際笑みを深くしてそう言った。






【続】

才蔵と佐助の出会い編。
原案(史実ではないので)を参考にしてますが基本的に創作です。
この位で終わる筈だったんですが長くなったので分けました。



07/07/28・up
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