※web拍手ログ※
(幸佐×1・慶小×1・政小×1)




【明け方】
(幸佐)



――水音。

まだ薄暗い時間だというのに、
男は一人、井戸から水を掬い顔を洗っていた。
少し驚かすつもりで、佐助は背後から話しかける。

「今日はまた随分と早いねぇ」
「ああ、佐助」

後ろめたいこともなくこちらを信頼しているからこそなのだろうが、
気配を消して近寄り声をかけてもこの程度の反応しか帰って来ないのは
多少張り合いがいがない――。

そんなことを考えながら、佐助は幸村の目を見た。
普段よりも、多少充血している。
目に隈こそないものの、心なしか少し血色が悪いようにも見えた。

「なんだ、もしかして寝れなかったの」
「うむ、まぁ、な」

幸村は僅かにはにかんで、しかし正直に答える。

戦の前日は大抵こうで、気分が高揚して中々寝付けないのだそうだ。
それは佐助にも分かるが、矢張り人を率いる立場である武将が
落ち着いていないというのはいけない。
本人の身も案じられるが、何より士気に関わる。

「駄目だよ旦那、敵陣中で突然ふらついちゃったら一体どうするつもりさ」
「うむ、気をつける」
「気をつける、って。おいおい」

佐助がそう言って苦笑すれば、相手もつられて少し笑った。
笑ったことで濡れた前髪から滴る雫を見ながら、
佐助は手拭いを差し出す。
すまぬ、という一言と共に受け取り、
幸村は両手でいっぱいに広げたそれに顔を埋めた。
一瞬見えなくなった顔に向かって佐助は口を開く。

「いざ、って時に俺がいなかったらどーすんのさ」

信頼してくれるのは嬉しいけどね、と結んで笑う。
笑みの前に一瞬浮かんだ表情は、佐助自身、よく分からなかった。
意識していない、妙な表情をした気がする。
とはいえ幸村が顔を上げた時にはもう笑えていた筈なので、
そう気にも留めないことにした。

「何を言っている」
「何って、」
「まさか佐助、お前、俺を信頼しておらぬのか」

幸村が得意気に笑っていれば、
いくらでも毒吐くなり茶化すなり出来そうなものを。
真顔で言うものだから、佐助は困るのだ。

真直ぐ見詰めてくるその亜麻色の双眸から視線を下に逸らし、
目を閉じて溜息を吐く。

「ほんと、困ったもんだよ」
「ん、何だ」
「いや、旦那ってばホンットいーい男だなぁって思ってさ」

佐助は眉根を寄せて笑った。
眼が開けられなかったのは、
段々と昇ってきた朝陽が眩しすぎるからだ――と、
僅かに潤む瞳すらもそのせいなのだと、自分に言い聞かせながら。



※※※


眩。






【朝】
(慶小)



「や、竜の右目さん」

小十郎は動かしていた手を止める。
どこかで聞き覚えのある声に振り向けば、
どこかで見覚えのある顔が大手を振って歩いているのが見えた。
記憶と同じ、屈託の無い笑みを浮かべながら。

「前田――慶次だったか」
「ひっさしぶりだね。片倉、小十郎――さん、なんだよな?」
「変な呼び方するんじゃねぇ気色悪ぃ。
そもそも一体どこから入ってきやがった」

小十郎が立っていたのは、自身の屋敷の裏手に作った畑の脇である。
手には手桶と柄杓。屋敷の周囲の地面も濡れているため、
打ち水のついでに水撒きをしていたのだろうと慶次は思った。
通ってきた道よりも、
今立っている場所は心なしか温度が低い気がする。

「どこって、正面から普通に」
「見張りはどうした」
「ちょっと手合わせしてもらっただけだよ」

こっちはちょっと用があって来ただけだって言ってるのに、
どうしても通さないって必死なんだから困っちゃうよな、
でも楽しかったよやっぱりあんた達の所の奴等は元気があっていいな――。
毒気の無い笑顔で次々と捲し立てるそれを聞き流しながら、
小十郎は畑に向き直り、再び水を撒き始めた。

正面から堂々と侵入されたのは腹立たしくもあるのだが、
逃げたのではなく倒されたのだから、
寧ろ部下達に対して情けないと思う心の方が強い。
加えて、
全く悪気のないこの相手に向かっていると毒気が抜かれてしまうことを、
小十郎はよく知っている。

「って、聞いてる?」
「そんだけでけぇ声で言われりゃ聞こえるに決まってんだろ。
で、てめぇは一体何しに来やがったんだ」
「ああ、そうそう――
この間貰った野菜、俺も食わせてもらったからさ。
まつ姉ちゃんがあんたにお礼言っておけって」
「この間?野菜――、ああ」

言われて初めて、ああそういえばそんなこともあったかと思い出した。
小十郎から見れば譲ったというよりも奪われたに近いのだが、
政宗は乗り気だったのだからまぁ譲ったということになるのだろう。

ぼんやりと経緯を思い起こしていると、
近寄ってきた慶次が小十郎の肩に手を置いて自分と向き合わせた。

「どうもありがとな、すげぇ美味かったよ。
色々あって食うのに一苦労した分もあったけど」
「――ちょっと待て。まさか、それだけのために来たのか」

後半に引っ掛かるところはあったが、
それよりも慶次の意図が分からず、小十郎は眉を顰め思わず尋ねた。

ただ野菜の礼を言うためだけにこんな所までやって来る時間も労力も、
どう考えても無駄である。
勿論、目の前の男が風来坊気取りの自由人であることを考えれば
無駄云々というより、その行動の中に意味のあることの方が
少ないのかもしれないが。

怒らせたと思ったのか、慶次は小十郎の肩から手を外し、軽く頬をかき。

「あ、やっぱりお礼の品とかあった方が良かったかい?
酒とかも考えたんだけど趣味分からないし、
奥州の方が美味いだろうと思って――」
「馬鹿かてめぇは。んなもん別に要らねぇよ」
「馬鹿ってひどいなー、折角来たのに」
「誰がいつ来て欲しいっつった」
「だって美味かったんだよ野菜。やっぱ直接礼いっとかなきゃ」

自分で作ったもん美味いって言われて誰も悪い気はしないだろ、
と言って一際にこやかに笑う。
小十郎は溜息を吐いた。

――どうにも調子が狂う。

慶次は世の中から見ても珍しい人種だろうし、
小十郎の周囲には少なくとも、こんな自由な男はいなかった。
例えばそう、朝陽の様だと。
無遠慮に容赦なく現れて、人の目を覚まさせずにはいない、
それでもどこか憎めない、そんな存在かと。
頭の片隅で、そんなことを思った。

けれどすぐに、慶次の腹から起こった低く不快な音に、
その思考は現実に引き戻される事となる。

「あ」
「――…おい」
「へへっ…、まだ朝飯食ってなくてさ、悪いね」
「てめぇは…、まぁいい」

小十郎は心底呆れたと言わんばかりの顔で慶次の脇を通り抜け、
屋敷の玄関口へと戻っていく。
慶次はその後姿を慌てて追いかけた。

「っわ、そんな怒らなくてもいいじゃん、ちょっと待っ」
「――飯」
「へ」

まだなんだろうが――と結んで、小十郎は立ち止まった。

豆鉄砲でも食らったような顔をして、それに合わせて慶次も立ち止まる。
振り向かずに、小十郎は続けた。

「俺の野菜は美味かったんだろ」
「え。あ、うん」
「なら好都合じゃねぇか」

そして振り向きざまに、
いつまでもそんなアホ面晒してねぇで少しは喜んで見せたら如何だと
笑いながら言ってやれば。

三拍ほど遅れて、慶次は満面の笑みを見せた。



※※※


この二人が好きです。






【昼】
(政小)



「眠い」
「そうですか」

唐突に始まった会話は、また唐突に終わりを告げた。

「眠いっつってんだろうが」
「聞こえておりますが」
「他に何か言う事はねぇのか」
「何を言えば宜しいのですか」

其れを考えるのがお前の仕事だろうが――。
そんな無茶を言って、政宗は筆を置いた。
小十郎は小十郎でまた別の書き物をしているのだが、
こちらは引き続き、脇目も振らず筆を動かしている。

政宗は空いた手で軽く上方に向かって伸びながら、
首を曲げれば鈍い音が鳴った。

「その様な仕事を仰せつかった覚えはありませぬが」
「じゃあ今だ。今命じた。考えろ」
「はぁ」

小十郎はここへきて漸く筆を止め、
しかしその手に持ったまま、手の甲を顎へ寄せた。

まだ陽は真上へ昇ったばかりである。
陽光が眠気を誘うのだかは知らないが、ここで眠られては、
態々自分が手伝わなければならないまでに溜められた政務が終わらない。
はっきり言って政宗が悪く自業自得なのだから
説教のひとつやふたつでもしてやりたい所だが、
そんなことをしている暇もない。

とどのつまりは、
政宗の我侭に付き合いご機嫌取りに頭を悩ます時間も勿体ないのである。

「そうですね、では、耐えて下さい」

そう言って、
小十郎は政宗の方は見ないままに再度手を動かし始めた。

「おい」
「はい」
「悪かったって」
「そう思うなら手を動かしてください」
「怒るなよ」
「怒ってなどおりません」
「怒ってるじゃねぇか」
「そう思われるのであればもう別にどちらでも構いません」

口を尖らせたまま、渋々と、政宗は筆を持った。
ずっと恨めしげに小十郎を見ているのだが、
小十郎が視線を上げることはない。

「小十郎」
「は」
「それ終わったらとりあえず休憩して、飯にしようぜ」
「分かりました」

単調な会話はそこで終わった。


………


小十郎が指定された分量を終え、筆を置く。
瞬間、今しがた書き終えた書類に影が出来た。

「終わったみてぇだな」
「政宗様」
「Sorry,悪かったよ」
「いえ――ただ、」

手っ取り早く一緒に居れる方法を考えるのなら
もっと鬼気迫らない状況を作り出して頂きたい――、と。

苦笑しながら小十郎が振り向けば、
すぐ目の前に、政宗の僅かに困ったような照れたような顔があった。



※※※


甘。







〜08/01/19使用