『会いたい』という気持ちがどういった感情に分類されるのかは知らない。 ただ、会いたいと思ってしまった以上そこに偽りなんてない。 とにかく『会いたい』という気持ちを抱いたことだけは確かなのだ。 だから理由を求めるのなら尚のこと、実際に会ってしまうのが一番早く確実だろう。 もともと自分は刹那的に出来ているのだし、刹那的であることを望んでいるから、自分自身で理由を求めることはそうないのだけれど。 そもそも好意に理由は必要ない筈だ。 全ての理由は相手に帰結するのだから、「お前が好きだ」の一言で、人生割合渡っていける。 37 「――と、思ったんだけどどうかな」 「俺に聞くな」 仏頂面でこちらを一別し、再び筆作業に戻るその姿には可愛気の欠片もない。 俺は縁側に座り込んだまま、露骨に溜息を吐いた。 「なんだよ、何で俺がアンタに会いに来たのかって聞いてきたのはそっちだろ。結構真剣に考えたのに」 「知らねぇな。興味があって聞いてるんじゃねぇ、とっとと帰れって意味で言ったんだ」 「あーあー、ひどいなあ片倉さん。俺が泣いたら片倉さんのせいだ」 「意味分かんねぇこと言ってんな。泣く位だったら何でここにいるんだてめぇは」 「さあ」 「ああ?」 小十郎は筆を置いて足を崩し、こちら――俺のいる背後へと向き直る。 心底迷惑気な顔でこちらを見るその目には、怒りよりも呆れや諦めの色が濃い。 そこに何故か嬉しさと、わずかの虚しさを感じるのは一体何故か――とは、何度も考えてみたが矢張り答えは出なかった。 こういう眼にはもう、随分と昔から慣れている。 「俺には分かんないんだ。だからさ、教えてくんないかな」 「ふざけんな」 「ふざけてなんかないよ。答えてくれたっていいじゃん」 「てめぇに分かんねぇことが俺に分かってたまるか」 「分かってないなあ。だから、俺が分からないから聞いてるんだって」 俺に分かるなら苦労はしないよ――。 そう言って笑い、床に手をついて乗り出し相手に顔を寄せる。 「答えてよ」 「馬鹿言え。なんで俺が」 「俺は頭使うの得意じゃないんだ。あんたは得意なんだろ」 「あのな、」 話が終わるのを待たずに両手を伸ばした。 顔の両脇を過ぎていくその手を眼で軽く追いながら、しかし小十郎はそんな俺を止めようとはせず、ただ無関心に眺めていた。言葉は止まったが動揺した様子はない。 相手の後頭部まで伸ばした手を組んで、そのまま引き寄せ己と相手の頭を寄せる。 互いの息がかかる距離。 互いの顔しか見えない距離。 それでも、彼の表情は変わらない。 顔には出さないながらも妙な苛立ちを覚えつつ、俺はゆっくりと口を開いた。 「――人の考えを読むのが仕事なんだろ。軍師とか参謀とかってのはさ」 「俺はそんな大層なもんじゃねぇ」 「結果的には、そうだろ」 「世間が勝手に言ってるだけだ」 「そうでもないさ。少なくとも政宗はそう思ってる筈だし――」 まさむね、と。 俺がそう言った瞬間、今までまるで表情を緩めなかった男の眉がぴくりと動いた。 してやったり――と思う反面、ああ矢張り、という諦めのような感情が腹底に湧く。 ――ああそうだ。 ――俺、そんなんばっかりだな。 人の想いを読むのは得意だった。 だから相手の心に触れようとするとき、いつも他人を通じてしか踏み入ることが出来なかった。 相手の中にいる他人を介してようやく相手の核心に触れる。 そのとき触れているのは自分でなく、相手の中の他人でしかないというのに。 ――きっとそれの、繰り返しで。 黙ったままでいる俺を不審に思ってか訝しげに、少し声色も柔らかく、どうかしたかと尋ねてくる眼前の男。 その顔と声に、俺は黙って僅かに首を振った。 言外に大丈夫だと示したつもりだったのだが、小十郎の表情は苦いままだった。 じゃあさ――と、俺は口を開く。 「的確じゃなくたっていい。あんたが今俺に言うのが一番良いと思う言葉でいいから。だから」 「それは――それだと、お前は」 「あんたに任せるよ」 あんたにとって一番、都合のいい言葉でいい――。 言って、精一杯に笑って見せた。 両手を離し腕を下ろす。引き寄せていたはずの彼の頭は微動だにせず、俺が前屈みになっていた姿勢を戻した分の隙間だけが空いた。 あいかわらず俺と彼の距離は近い。 今現在、小十郎の一番近くにいるのは自分なのだ。 ――近い、はずなのに――。 そこまで考えて。 後向きになる思考を止めた。 俺の台詞も何もかも。 かりに何一つ届かなかったとして、それを決めるのは俺じゃない。 大切な人であればあるほどその想いは大切だから、出来るなら誰の想いも邪魔したくない。その考えを変えるつもりもない。 けれど。 だからこそ――。 こちらの思惑が分からないのか、探るように眼を覗いてくる相手を正面から見詰め返す。 相手にとってそうなのと同じように、こちらだって相手の考えていることなんて分からないのだから余計に焦れる。 床に着いた手に汗が滲んでいる。 勝手に一人で、絡んで焦れて緊張しているのだから世話がない。 内心そんな自分に呆れながら、とかく相手の反応を待つ。 一瞬一瞬が千秋のように長く感じられた。 ふぅ、と。 肩を落とし、渋々と言った体で口を開く、その動きがひどく緩慢に見えた。 「いいか、よく聞けよ」 俺は首を下に振る。 彼は表情のないまま薄く口を開き息を吸い込んで、止めた。 そして、 「――馬鹿野郎!」 そう言って。 固い拳が、俺の頭上に振り下ろされた。 「痛い!ひっどい片倉さん」 「うるっせぇこのクソ餓鬼が!男がうじうじと人に絡むんじゃねぇ!!」 「だって――」 「てめぇは本当に馬鹿だな」 深い溜息を吐いて。 「何を遠慮して何を期待してんだか知らねぇがな、てめぇの気持ちなんざ知るかよ。何を思って何をしようとお前の責任で好き勝手にすりゃあいい。お前の良い様に理解すりゃいいんだよ。自分でも分からねぇってんならてめぇで勝手に名前をつけろ」 俺は知らねぇ――と。 そう結んで、小十郎は机に向き直った。 「ええと、え、それって」 「好きに解釈しろ。二度は言わねぇからな」 ぶっきらぼうに言ってのける、その声に。 俺は思わず声を出して笑ってしまった。 「っぷ、はは、あはははは…!」 「なんだてめぇは。気でも狂ったか」 「はは、っ、うん、そうそう。おかしくなりそうだ――」 ――好きにしろ、と。 ――この人は言っているのだ。 迷惑であれば。 気のせいだとか諦めろとか、言えばいいそれだけのことなのに。 「あーもう、俺まで甘やかすんだから片倉さんったら」 「日本語を話せ。意味が分からねぇ」 「ああ、うんうん。会いたくなったら、また来るから」 「ふざけんな」 「あはははは」 下らないことに一喜一憂する自分が滑稽で。 そんな自分の相手すら厭わない、年上の男がおかしくて。 止まらない笑いを、ひきつりながらどうにかおさえて。 立ち上がり障子に手をかける。 今日はもうこちらを向いてくれそうにない小十郎に、 次に会う時のための一言を。 「俺はあんたが好きだよ」 そう言って。 俺は縁側から飛びだしまだ雪の残る庭園を走り抜け、寒そうに震える愛馬の背に飛び乗った。 後ろから聞こえたどなり声は、次会う時の楽しみのために取っておこうと思いながら。 37. 叶うはずもない願いは絶望の色を強めるだけだ、しかし、 |
いたずらっ子。 10/02/11・up |