「――んん、ゆぅりちゃぁぁん、ってばぁ――」 ――だからそれは一体どこの誰だ五月蠅ぇってんだよこの大馬鹿野郎! 口には出さず、けれどすでにもう何度目かわからない叫びを心中で上げて俺は脇のベッドを――というよりも、そこににやけ顔で寝ている男の阿呆面をきつく睨んだ。 勿論、本人は寝ているのだから何の反応もない。 へらへらと下がった眉に緩みきった口。 顔は何か言うたびに動いているのに、全く乱れのない布団の上で両手を組んでいて、妙に寝相だけはいいのがまた癇に障る。 大人しくするなら大人しくするで完全に大人しくしていてもらいたい。 否、勿論寝相が悪ければ許せるかと言えばそんな訳はないのだから、別にこれは八つ当たりでしかないのだが。 14 小さな町の、小さな宿。 予定調和のように毎度毎度、律儀に壊れてくださる複葉機のせいで――どこぞの阿呆が整備しているからなのか、どこぞの阿呆が運転しているからなのかは知らないが要するにあの阿呆のせいだ――、不時着した場所から一番近い町だというだけで、こちらに特に目的もなければ名物や名所もない、何の変哲も無い町だった。 里穂子は一つしかない宿のさびれ具合にしばらく不平を言っていたが、それでも無いよりは余程マシだろう。 墜落のせいでイラついていたこともあり俺は無視していたが、そこは橙次が兄貴であることと墜落の責任とのためか何とか宥めていた。 入ってみれば宿には二人部屋しかないというから、部屋が分かれることになった。 それがまた面倒の始まりで、誰とでも良いという風助と橙次はさておき、理穂子だけは俺と一緒が良いなどと主張してきたのだ。 普通自分の妹がいい年した男と二人で宿に泊まるなんざ反対すべきところだと思うのだが、橙次はといえば俺を茶化すだけ茶化して、それがいいんじゃないかお兄さんも藍眺君が弟なら安心だぁと里穂子をけしかけるだけだった。 俺としては里穂子本人よりもむしろ橙次のその言いようが一番癪に障ったのでまた言い合いをしていると、ならじゃんけんで良いだろうという風助の提案があり。 その結果がこれ――橙次との相部屋になる訳だが、これがまた問題だった。 いかに橙次が酒好きで女好きで適当でちゃらんぽらんな自由人だろうと、宿が決まって眠るだけなら何も問題はないと思っていた自分の見込みが甘かっただけだと言ってしまえばそれは確かだ。 疲れたから俺は寝るぞと風呂も入らずベットに倒れこんだ橙次を、まぁこいつも疲れているんだろうなと放っておいたのもまぁ、悪かったのかもしれない。 しかし。 「ぃやだなぁ――もぉ――」 ――夢の中でまで腑抜けてやがるのかこのアホは…!!!! 操縦に集中力がいるのは分かる。 無免許とはいえ、少なくとも俺には出来ないのだから運転ってもんにはそれなりに必要な能力がついて回るはずだ。 それらによって操縦で負う疲労ってヤツがどんなものかは知らないが、全く疲れないなんてことはないだろう。 操縦だけじゃない。 修理だって一応アレも機械は機械なのだから、細心の注意や力、ある程度の技術は必要だろう。 目に見えない部分で、この男は自分たちより疲れているのだ。 それは分かっている。 だからといって。 だからといって、深夜にへらへらとだらしのない声で見知らぬ女の名前を次々と挙げられれば、怒らない方がおかしいだろう。 もちろんひっきりなしに騒いでいるようならとっくに殴り起こしているが、時折思い出したように――これがまた丁度人が寝付きそうになる際の絶妙な、程よいタイミングで――聞こえてくるものだから、どうにも怒るタイミングが掴めない。 大体が普段から、こんなにこいつの寝言を聞いた覚えはない。 最近の野宿や――おそらく昔までさかのぼって考えても、こいつがこんなに寝言を言っているのは初めてだと思う。 なんでまた、よりにもよって今日この日に限って――。 「ッぁ――」 ――今度は一体誰だってんだよ、ったく――。 響いた小さな声に思考を中断し今度こそ怒鳴ってやろうとその文句を考えながら、眉根の皴をより深くして――睨み付けた相手の顔、その唇が、縦から横に、薄く引かれて。 吐息と声のどちらとも付かないようなものが、段々としっかり、音を持って。 「ぁい、ちょう」 「いい加減に――って、は?」 文句を言わんと立ち上がりかけ、浮いた腰がそのまま僅か泳いだ。 虚を付かれ、起こる気力が削がれてしまい思わず座りなおす。 ――俺? 自分の耳が確かなら、橙次は確かに小さく”あ”と言った。 そして、”いちょう“と。 すやすやと眠りこけるその顔を見ながら、先程の声を頭の中で反芻する。 ――俺、だよな。 心の中で繰り返す。 こうも確認しなければならないのは、ただ橙次が“あいちょう”と口にしたからというばかりではない。 人の気も知らず橙次は相変わらず眠っているのだが、心なしかその表情が、穏やかになっている気がするのは。 妙に優しい表情で、柔らかい声色で。 甘やかすように。 普段の声色とも、先程女の名前を呼んでいた声とも違う。 ――何だ、今のは。 未だかつてこの男に、自分はそんな呼ばれ方をしたことがない。 ――こんな。 「ん、ぁ――」 自分でも気付かない内に考え込んでいたのか、橙次が発した声で我に返った。 ――一体、こいつは次に何を言うのか。 妙な焦燥のようなものを抱えながら、俺はその口の動きと声に集中して――、 「り、さちゃぁぁん――」 「いい加減にしやがれこの色ボケがぁぁぁ!!!!」 そうして。 いともアッサリと俺の堪忍袋の緒は切れて、俺の枕が橙次の顔面にめり込んだのは言うまでもない。 またその後、最悪の目覚めを体験したらしい橙次との実に不毛などつき合いの結果、俺は結局一睡も出来なかったことはさらに言うまでもないだろう。 14. 夢の狭間で君が僕の名前を零す、それだけで緩むこの頬をどうすれば |
完全にアニメ設定だとこんな感じに。 08/11/03・up |