「あれが恋というものなのかな」





01





古くからの友人の、唐突と言えばまあかなり唐突な台詞。
とはいえ俺はただ目の前にある料理を口に運ぶことに集中しているわけで、そうかと軽く言ったか言わないか、自分でも判断つかないような音を出してそのまま食事を続けていると不意に利き腕を捕まれた。
無視してスープに手を伸ばそうとしたが、まるで動かない。
力でココが俺に適うはずはない、おかしいと考えてふと、何のことはない、力負けしているのではなく単にこちらの腕が痙攣しているだけだと半拍遅れて気が付いた。
あらためて掴まれた腕に目をやればやはり、ココの手はいつのまに包帯を取っていたのか赤い。

――毒。
――こっちは食事中だってのに――冗談じゃない。

「何しやがる、ココ」

俺は食い物じゃねぇぞと言って睨めば、あのなぁと呆れ声が帰ってきた。

「トリコ。人の話を聞け」

腕からびちゃりと音をたてて、赤い液体が垂れた。
こちらが腕以外まるで平気なのはさすがと言うべきなのかもしれないが、たかだか話を聞き流した程度で毒まで使わなくても良いだろう。

「あのな。聞いてやってるだろ」
「馬鹿言え、さっきからお前は食ってるだけじゃないか。僕が話したいことがあると言ったら、うまい飯を用意しろと言ってきたのはお前だろ」
「じゃあ飯出すのは話の前か後にすりゃあいいじゃねぇか」
「食ったら帰るし出さなくても帰るだろ」

言われてみれば確かにそうかと思い、テーブルに所狭しと並べられた料理を一通り食べたのを確認したうえで睨むのをやめ、背を椅子に預ける。
そのまま地を蹴りあげて椅子の前足を浮かせれば後足がみしりと悲鳴を上げた。
やめろ、ただでさえお前は重いんだ、と今度は俺が睨まれたので、仕方なしに足を落としてテーブルの上に肘を付いた。

「で、何だってんだ」
「今説明したじゃないか。だから――仕方ない、もう一度話してやる」

やれやれといった風に、それでもどこかまんざらでもなさそうに、ココは軽くため息を吐いた。
無口ではないが元来あまり口数の多い男でもない。
いつもなら、俺がすまん聞いてなかったと軽く謝っても、もういいと諦めているように思う。
どうやら、言いたくて仕方がないらしい。

「あれは――先週末だったかな。彼が遊びに来てくれてね」
「彼って誰だよ」
「決まってるだろ。小松君だよ」

ココはやれやれと、ため息を吐いて首を振った。

「本当に、全く聞いてなかったんだな」
「いや、たぶんその後お前が秘蔵のシロップまで出してケーキ作ったって所は、ちゃんと覚えてるぜ」
「そう、か。完全に食い物のための脳みそなんだな、お前は」
「そう褒めるなよ」
「誰も褒めてない」

――トリコに聞いてもらおうとしたのが間違いだったかな、でも共通の知り合いっていったらトリコくらいしかいないし――と、ココは誰にともなく呟く。
悪かったよとぞんざいに謝って、俺は顎をしゃくり話の続きを促した。

「まあ、それでとにかく、彼が僕の家に来たんでもてなそうと思って料理してたんだけど」
「なんでコマツがお前の家に来るんだよ」
「僕が呼んだんだよ」
「なんで」
「――え。いや、なんでって、そんな」

そこでココは急に俯き、顔を赤らめた。

「まあ、だから、前の一件では怖い思いをさせてしまったし、色々親切にしてもらったから、その、うん、」
「ほォ――」

適当に相槌を打ちながら、再度テーブル上の肉料理に手を伸ばす。
そのまま口に放り込んで肉の旨味を堪能しつつココを見れば、まだあたふたと言い訳を探している様だった。
このままだと時間が掛かりそうだったので、ひとまずその肉を飲みこんだあと俺から口を開く。

「で?」
「――ああ、そうそう。それで、精一杯もてなそうと思って料理作ってたら。床にね、出たんだよ――奴が」
「『奴』?」
「――Gがさ」
「ああ、ゴキブリか」
「食事中だからと思って伏せてやったのに口に出すなよ」

やっぱりお前は品がないなと続けて、ココは深く溜息を吐いた。
そもそも食事中にゴキブリの話振ったのはお前だろ――とは、俺も思ったが言わないことにした。

「僕が虫嫌いなのは知ってるだろ。そもそもこんな場所だから滅多に虫は出ないんだけど――それでね、見た瞬間僕が毒化して追い払おうかと思ったんだけど」
「料理中じゃなかったのか?」
「そう、そこなんだよ。もし小松君の料理に毒でも入ったら大変だろ。殺虫剤も置いてないし、折角の料理にかかったら台無しだ」
「そうだろうな」
「だから、どうしようかと思って。でもこうしている間に飛んできたらどうしようとか色々考えて動けなくなってたら――こう、バシッと」

そこでココは、右手を握り左上から斜めに振り下ろす動作をした。

「丸めた新聞紙が、ものすごい速さで振り下ろされて。かっこよかったな――脇を見ると小松君がね、見たこともないような鋭い目つきで、新聞紙握ってて」
「ほォォウ」
「一撃必殺、って感じでさ。もちろん退治できてて――あ、始末もしてくれたんだけど」

本当にかっこよかったんだ――としみじみ呟いて俯き、そして再度顔を上げたかと思うと、一言。

「多分恋だと思うんだよ」

ひとしきり言い終えたのか、ココはうっとりと虚空を見詰めている。
俺は、はぁ、とよく分かったような分からないような曖昧な返事をした。

恋だの愛だのと、腹が膨れないことにはあまり興味はない。それは自分にも他人にもそうだから、ココの言っているような感情はあまり分からないし興味もない。
ただ分かるのは、眼前にいるこの男が、ひどく幸せそうだということだ。
結局それしか分からないのだが、付き合いが長い分ココも俺がきっとこの程度の理解しかできないことは分かっていてやっている筈。ということはとりあえず、それが分かれば十分なのだ。
いまだに幸せそうな顔をしているココを見て自然と俺は微笑んでいたから、きっとそういうことなのだろう。

「それは良かったな」
「ああ」

満足気に頷くココの頭を、俺は自然な動きで腕を伸ばして軽く撫でた。






05. その感情はただ、恋でしかなかったのだ



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