初めは、その時チームを組んでいた先輩から聞いた。 任務をすべて終えてからだったから、知らされるまでに実際の事件から数日が過ぎていた。 加えてあまりに突飛なことだったので、正規の報告とはいえ現実味がなかった。 今思えば想像の及ばない事にたいして頭が麻痺していたのだけかもしれない。 ――まさか。 ――そんな、ことが。 任地から戻るまでの間、それ以外の事を考えた覚えがない。 次に、報告に行った本部で聞いた。 裏会の事務員や本部付きの顔見知りが通りすがり、必ず自分に声をかけていく。 『今回の事は、その、残念でしたね』 『どうかお気を落とさず』 『貴方は強運の持ち主のようだ――なにせ、あんなことが』 ――あんなこととは、どんなことだ。 自分はそれを知っている。 知っているが分かっていない。 だから聞こうかとも思ったが、やはり知ってはいるから俺はただ黙って苦笑した。 最後。 最後にその、見慣れた森に囲まれた見慣れた建物の、まるで変わらない姿を見た。 02 石畳、庭、柱、回廊、屋根――。 門を開き、まずその場で一通り見渡してみるがやはり見なれた建物の佇まいに違いはなく。 ――あそこから、あいつらがひょっこり顔でも出せば。 仲の良かった友人たちを想像する。 いつも自分が任務から戻ってくると、帰還祝いだの情報交換だのと適当な理由をつけた飲み会に巻き込まれていたことを思い出す。 それは遠方の任務でも日帰りの任務でも同じことで、その時ここにいる連中――だからほぼ毎回メンツは変わるのだけれど――が特に集めたわけでもないのに誰かの部屋に集まって騒ぐ。 いつも明るく騒がしく、そりゃあまあ集団生活である以上は常に円満というわけではなかったけれど。 それでも皆それなりに楽しくやっていたように思う。 ――それが、足りない。 そう思って見れば、端々に事実の痕跡が見える。 もう陽も高いというのに閉ざされた雨戸。 雑草が目立ち始め、落ち葉の散った庭。 石畳の隙間に残る赤黒い染みが、きっと真実なのだろう。 「明日、取り壊すらしいよ」 「――え」 突如。 耳元で――背後から聞こえた声に振り返る。 声の主と思われる男は、一人で立っていた。 歳の頃は自分と同じくらいだろう。やはり自分と同程度の背格好を黒の和服に包み、静かに微笑んでいるその顔には、特徴的な傷がある。 ――ああ。 以前参加した重要案件に助っ人として派遣されていた――結界師という、特殊な能力を持つ男だった。 自分とは然程歳も変わらないというのに、すでに裏会にある程度の地位を築いているらしい。自分主体で組織を設立し、運営しているとも聞いた。 「墨村、正守――さん」 「や、行正薫君。久しぶり」 「――お久しぶりです」 「ここ、建て直すんだってさ。別の組織の派出所に使うらしい」 一瞬。 何を言っているのか理解できなかったのだが、取り壊すと言った言葉の続きなのだと半拍遅れて理解した。 「なんだかなあ。土地がもったいないっていうのは分かるけどさ、ほんと上の人のやることってのは人の気持ちを考えてないよな」 「――この場所を、まだ使うんですか」 「うん、そうらしい。もっとも教育機関のような目的には流石に使わないみたいだけど――また来たら、困るから」 「え」 「場所が知れている。また来ないとも限らない――と、思ってるんだろうな」 「正守――さんも、そう思いますか」 「いや。二度と来ないんじゃないか」 そう詰まらなさそうに言って、彼は俺の脇を通り過ぎた。 そのまま門をくぐり石畳を進んでいく。 あわててその背を追いながら、どうしてそう思うのかと口を開きかけた時、その背中から「ところで」と声がかかった。 「君は、生きてたんだな」 「ああ、はい。私は、任務でここを離れていましたから」 「そう。じゃあ、皆殺しにするのが目的と言うわけでもないのか」 「え」 「ああ、なんでもない」 軽く手を振って笑う。 ようやく追いついて、近距離で見るその顔には少し隈が見えた。 やはりこの歳で組織を纏めるというのは大変なことなのだろう。 以前手伝いで訪れた時も常に式神を受け、また飛ばしていた。今現在にしたところで、おそらく多忙であるには変わらないだろう。 「正守さんは、何をしにここへ」 「いや、明日壊されると聞いたんでね。見知った顔もいたからさ、一度くらいちゃんと見ておこうと思って」 「そうですか」 「そういう君は」 「ああ。俺は――」 大体のいきさつを話しながら、規則正しく並置された石畳を進む。 時折頷いたり、相槌を打ってくれたりはしているけれど、彼はただ静かに俺の話を聞いていた。 要するに何だか分からないまま事実だけを知らされて、何だか分からないままとにかく――あそこにいた連中の本当の家がどこにあるのかなんて知らないから、墓参りすらできないで――自分の知っている彼らの痕跡はここだけだからとここに来たのだ、と。 最後にそう言って、俺は歩みを止め口を閉じた。 ――要するに、よく分からないのだ。 ――友人が死んだのに。 それまで黙って聞いていた彼は小さくそうかと呟いて、2、3歩いてから振り返った。 「ええと。色々あって大変だったとは思うんだけれどね」 困ったように眉根を寄せて、口元だけは笑みのような形を作り。 「個人的な意見を言わせてもらうと、君が生きていてくれてうれしいよ」 そういって彼は手を伸ばす。 握手だろうかとこちらも手を伸ばせば、握った瞬間体ごと引っ張られバランスを崩した。 そのまま倒れこむ。 傾いた体制のため、自分より身長は僅かに低いはずである彼の肩に顔が埋まった。 眼が、彼の黒い外衣に埋もれてしまう。 ――見えない。 「ああ、可哀想に」 片腕が首に、もう片方が腕が背に回されるのを肌で感じる。 布地のざらりとした感触が首に走った。 「可哀想に」 「かわい、そうとは」 「君のことだよ」 落ち着いた声で彼は言った。 「いえ、私は――免れましたから。それでも、幸せなのでしょう」 「残されたのだろう」 ――残された――とは――どちらに――。 咄嗟に浮かんだ疑問をのみこむ。 友人に先立たれたことか師に裏切られたことか、それともただ単純に――そして一番困難なことに――師に連れて行ってもらえなかったことを、置いて行かれたことを言っているのだろうか。 「それは、その」 「可哀想になあ、君も。仲間も師も目標もすべて、一度に失ってしまった」 「いえ、その」 「大丈夫。君は可哀想だから――」 なにが大丈夫なのか、と。 俺が声に出すよりも早く、彼は次の言葉を紡ぐ。 「だから。泣いてもいいんだよ」 「え」 言っていることの意味が分からず聞き返すが、自分の頬を伝う生温かい感触に気付き、うまく言葉が出てこない。 「え、あ」 「そうそう。悲しいんだ。辛いんだ」 「――あ」 「大丈夫。大丈夫だから」 ――なにが、大丈夫なのか。 やはりそう、口に出して言いたかったのだけれど。 溢れ出る涙と嗚咽のせいで、それは言葉にはならなかった。 ※※※ 「もし良かったらさ――行正。うちに来ないか?」 「え」 「あれ」 嗚咽も止まり、ようやくまた歩き出し。 敷地内を一周りしたかなというところで、不意に彼はそう言った。 驚いて彼の顔を見ると、想定外の反応だったらしく彼もまた眼を見開き口を半開きのままこちらを見た。 困ったように頬をかいて、半ば呆れたように言葉を続ける。 「自然な流れだったと思うんだけどな」 「あ、いえ、その」 「なに?」 しまった――とは思ったのだが、口に出してしまったものはもう遅い。 仕方なしに、流れ云々以前の問題として驚いた原因を、正直に白状する。 「あの人からも、同じ台詞を言われたことがあったもので」 苦笑しながら、まだ僅かながらの涙声でそう言うと。 彼はひどく――ひどくひどく、とても嫌そうな顔をした。 02. 伸ばした腕で視界を奪った、他の何も君を侵せないように |
10/10/25・up |