「お前の子供が見たいな」
「――は?」

大きく開いた眼に半開きの口。
実に間の抜けた表情で、トリコはこちらを向いた。
裸にシーツを纏っただけの状態で、ベッドで寝転がりながら。力強い精悍な大の男が――。

あんまりの構図になんて間抜け顔だと言って笑ったら、拗ねさせてしまったのか、さっと眉を寄せ口を尖らせた。
実際さっきまでは自分もそのベッドの上で、同じように裸で寝ていたのだし、人のことを笑えた状況でもないのだが、先にシャワーを浴びて落ち着いてしまったこちらの勝ちとでもいうのか。
ひどくその図が滑稽に見えたのだから仕方がないだろう。




01




「なんだよ、いきなり」
「いや、別に。ただ今何となく、見てみたいなぁと思ってさ」

こう見えて子供は好きなんだと続けて、笑ってみせた。

本当は今に始まったことではない。
今まで幾度となく考えたことのある話だ。
シャワーを浴びて服も着て、何事もなかったかのように部屋に戻ってきて――そしていまだにベットの上で気持ち良さそうに根転げているトリコの顔を見てつい口から出てしまっただけで、突然の思い付きでも気まぐれでも何でもない。

トリコは納得がいかないのかまだ驚いているのか知らないが、腑に落ちないとでも言いた気にこちらを見ている。
いつまでも同じところに突っ立っているのも馬鹿らしい。
僕は薄く笑いながらトリコのいるベッドに向かい、腹のある辺りの脇に軽く腰掛けた。
ベッドはもちろん特注なのだろう、大柄な自分達のために簡素だがしっかりした構造をしている。
ただしトリコのものは自分の部屋に与えられたものと比べても、やはり作りが丈夫で、少し大きい。
それでもトリコが一人で寝ている状態で余分なスペースがあるようには見えず、先程まで自分もそこに寝ていたと思うと慣れていてもやはり不思議なものだ。

「やっぱりお前に似て大柄で、大食なのかな。だとすると女の子だったら少し可哀想だ」

最近は年頃の女の子って必要のないところまで痩せようとするから、きっとパパのせいだって言って怒られるんだろうな――。

そう続けて横を向き、トリコの表情を伺う。
寝転がったままでも一応考えてみてはくれているようで、真直ぐ上を見上げながら、そういうもんかと呟いた。
そういうもんだよと、柔らかく返して僕は首を前に戻す。

「男の子だったらきっとトリコ、お前にそっくりだろうな」
「かもな」
「ふふ――いいなあ。多分相当に賑やかな家庭だ」

衣擦れの音がしたので振り向けば、トリコが上半身だけ起き上がるところだった。
瞼の開ききっていない表情は眠いだけでなくあまり機嫌が良くはない証拠だが、別段怒っている風でもないので、そのままトリコの顔を見ながら話を続けることにする。

「――好みなんかも似ててさ。毎日食卓が戦場になってたりして」
「それはまぁ、あるだろうな」
「大人げないなお前は。――で、好みが似るのは食だけじゃなかったりして、じきに父さんに反発して、お母さんは渡さないぞっ、とか言ってきたりして」
「そういうもんか」
「さぁね。僕は子供を育てたことはないから分からないが――」

そこで少し間をおいて、一度目を伏せた後。
トリコとは視線が合わないように避けながら、斜め上の空間を見詰め口を開く。

「きっと――可愛いだろうなあ」

実に小さく、平素より僅かに低い音で、トリコのそうかという声が聞こえた。
その顔を見ないまま、僕は眼を閉じ、黙って頷いた。

「そうしたらお前もきっと、ココおじさんとかって言われるんだぜ」
「そうだな。おじさんか」
「パパの昔の話とか聞かせてー、とか、せがまれたりしてな」
「あはは。そこで僕がお前の散々な失敗話を聞かせ始めて、お前が慌てて止めに来るんだ」
「おい」
「ははは――」
「ココ。お前は――」

言いかけたトリコの口に、手を伸ばしてその先を制した。
眼を薄く開き、きつく睨みつけてから手を離す。
眉根を寄せ上げて、笑っているのか困っているのか、泣きたいのか怒りたいのか自分でも判断付きかねる微妙な表情をしながら――。

「僕は――僕の子供なんて要らないし、見られないから」

言い切ると少し楽で、トリコに向かって微笑みながら、すまないと一言搾り出した。

もし仮にこの施設を出て、『自由』を手に入れたとして。
そしてそこで『人生を共に過ごす最愛の人』を見つけたとして――その上その相手からも心から愛して貰えているといったような嘘みたいな状況に、奇跡的にめぐり合えたとしても。

愛しているのなら愛されているのなら余計に、自分に触れさせる訳にはいかない。
自分に触れては接触感染の危険があるのだから。
無論、触れ合うのが体液となれば当然危険度が一気に跳ね上がる。唾液が混じる口付けなど以ての外、抱き合うなど言語道断――蟷螂じゃあるまいし、交尾中に相手を殺してしまうなんて馬鹿げている。
その馬鹿げている危険を孕んだ毒の塊が災厄の根源が、自分なのだけれど。

考え込んでいると不意に、首に腕を回された。

「わ、っと、トリコ――」
「うるせぇ。つまり――」

トリコは引き込むようにそのまま倒れ、こちらもその横に寝転がる形になる。

二人も寝転がれるような空間はない。
だから、横というよりも顔は横にあるだけでほぼトリコの上に乗っているといった方が近い。
自分以外の鼓動で体が揺れる。

トリコは実に真面目な顔で、こちらの眼を真直ぐに見据えて――。



「お前は、俺としか寝れねぇってことだろ」



――違う。



明らかに、それはもう気持ちの良いくらいに、こちらの主張の本質とずれている。
異を唱えようとして開いた口はけれど相手のそれで塞がれて、結局ただ肺に酸素を送り込むことに必死な状況に陥ってしまった。

ただその大きな手と熱い体に、結局流されてしまうのが通例で、ということは最早僕に主導権など微塵もなく、あとは流されるがままに何も考えずただ熱い奔流に飲まれればいいというそれだけの話。

「――っ、は、トリコ――」
「何だよ」

――それが無ければ、

――この男がいなかったら、



――嗚呼、馬鹿らしい。



こんなことを続けたところで僕はトリコに何も残せないのだし、あちらにしても、僕に何か残せるものではない。
それはお互い承知の上で、決して人生に必要不可欠でもない行為に精を出しているということは、詰まり――否、詰まるところ僕は相手に付け込んでいるのだし、加えて相手が僕に付け込ませているのであれば何も考えることなど無い。

眼前の男に、右の頬を吊り上げて、眼だけは挑むように鋭くして――。

「責任取れよ」

辛うじて思いついた、間違っていない台詞を吐き捨てる。
トリコはといえば一瞬のきょとんとした幼い表情はすぐに消えて、乱暴なまでの笑顔になると、そういうのは三つ指突いてお願いするもんじゃねぇのか――等と得意気に言ってのけるものだから、僕は。



その背に腕を回して、馬鹿じゃないのかと――笑って言った。






01. 欲しいと望みながら、絶対に手に入れられはしないことを僕は知ってる



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